今日はアンティークの唐子(からこ)文様の帯を取り上げます。
帯には、現代ではあまり知られていない説話が描かれています。
1.唐子文
①唐子文(からこもん)とは
唐子と呼ばれる中国の唐時代の子供を描いた文様で、無邪気に遊ぶ様子の図柄が多く、子孫繁栄の吉祥文様とされています。
唐子の人数によって「三人唐子」、「五人唐子」、「七人唐子」とよばれています。
△唐子文(黒留袖)(長崎巌監修、弓岡勝美編(2005)『きもの文様図鑑』平凡社より)
②古くは正倉院宝物に
古くは正倉院の宝物に『唐子文花氈(からこもんかせん)』という唐子を描いたものがあります。
花氈は羊毛を圧縮してフェルト状にした毛氈(もうせん)のことです。
△唐子文花氈(太陽臨時増刊 『正倉院の宝物』1981年より)
中央の人物が唐子とされているようです。
③更紗(さらさ)
更紗の中にも唐子文様があります。
それは舶来(渡り物)の更紗ではなく、日本で江戸時代に作られた和更紗(わざらさ)の中の文様です。
△和更紗の人形手(にんぎょうで)の文様。唐子がモチーフになっています。(吉本 嘉門(2005)『新版 和更紗』青幻舎より)
2.刺繍で描かれた故事
①戦前の袋帯
全体
この帯の持ち主は、以前「羽衣の引き抜き帯」や「銀綴れに刺繍の帯」でご紹介した、明治20年代生まれの東京出身の女性です。
前出の2本の帯は引き抜き帯でしたが、これは現代と同じ袋帯なので、時代的には少し後のものと推測されます。
前
楽器や唐団扇(とううちわ)を持って楽しそうに踊る唐子が刺繍で描かれています。
あどけない表情が可愛いです。
お太鼓
瓶が割れて水が流れ出ています。
これは、中国の有名な説話を刺繍で表したものです。
それは「司馬温公(しばおんこう)の瓶(かめ)割り」です。
②司馬温公の瓶割り
司馬温公とは
司馬温公は中国北宋時代の儒学者、歴史家、政治家の司馬光(しばこう)のことです。
△司馬光
(ウィキペディアより)
司馬光は、温国公の爵位を贈られたため「司馬温公」と呼ばれます。
司馬光は幼少の頃から神童として知られていて、7歳の時には 『春秋左氏伝』*の講義を聞き、家に帰ると、家の人たちに聞いてきた内容の講義をしたといいます。
*春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)…孔子の編纂と伝えられる歴史書『春秋』の代表的な注釈書のこと
瓶割りの故事
司馬温公が子供の頃、庭で友達と遊んでいたところ、仲間の一人が誤って水がめに落ちてしまいました。
他の子供は何もできずにただおろおろしていたのに、司馬温公は、落ち着いて石を投げて水がめを割り、水を抜いて仲間を救い出したといいます。
大切な瓶を割ったので叱られることを覚悟していた司馬温公ですが、父親は温公をほめて、改めて命の大切さを教えました。
これが「司馬温公の瓶割り」で、昔の日本人なら誰もが知っていた有名な故事です。
(参考:ウィキペディア)
右手に金色の石を持った、いかにも賢そうな顔立ちの男の子が司馬光。
瓶から出てきた子供はびっくりして泣きそうな表情です。
③日光東照宮にも
日光東照宮の陽明門にも、この説話が描かれています。
高欄(欄干 らんかん)の羽目板に「唐子遊び」と呼ばれる装飾彫刻があり、そのうちの1つが司馬温公の瓶割りです。
現代人にはあまり馴染みがない話かもしれませんが、戦前の人々は誰もが子供の頃から知っていたお話なのでしょう。
3.帯を着用してみる
①江戸小紋に
グリーン系の江戸小紋に締めてみました。
小さな白い点が斜め45度に並んでいる「行儀(ぎょうぎ)」という江戸小紋です。
江戸小紋の中でも格が高いとされている柄ですが、ぱっと見た感じは無地のきものです。
着物が渋いせいか、帯の柄が大きいわりには全体が落ち着いた雰囲気です。
お太鼓のタレには斜めに配置された欄干の刺繍が施されていて、朱の色がアクセントになっています。
合わせてタレも少し斜めになるように締めてみました。そうすることで、子供が瓶から飛び出てくるという躍動感を表せるかもしれないと思ったからです。
②帯揚・帯締め
帯揚は帯を引き立てるように目立たない色にし、帯締めは着物全体が地味なので赤系を選びました。
この帯は多色の刺繍糸が使われているので、着物の色やその日の気分によってどんな色の帯締めでも合わせられそうです。
この日は「みかわち焼き」の展示会に行きました。
続きは次回に……。