今日は戦前に作られた刺繍の帯をご紹介します。繻子(しゅす)の地に立体的な羽衣の刺繍が施されています。
昔の結び方である「引き抜き」の帯でしたが、現代でも着用できるものでした。
2.テーマは能「羽衣」
①繻子(しゅす)地
繻子織り*の地に能の羽衣が刺繍されています。
*繻子(しゅす)織りは「朱子織り」とも書き、サテンのことです。密度が高く地厚で、ツルツルとした手触りと光沢が特徴です。
上には松の林と海を表す波の刺繍が施され、下には漁師の腰蓑(こしみの)と釣り竿、びく(竹かご)や貝も存在感たっぷりに刺繍されています。
帯地は光沢があり、柔らかな重厚感があります。
②細かくボリュームのある刺繍
金糸がふんだんに使われています。
朱色の装束には厚みが感じられ、顔は能面よりも人間的に描かれています。
③能「羽衣」
能「羽衣(はごろも)」は、能の中でもっともポピュラーといえる曲です。
あらすじ
三保の松原の漁師が松の木に掛けられた美しい羽衣を見つけ、持ち帰ろうとすると、天女に呼び止められます。
「衣がないと天に帰れない」と嘆き悲しむ天人(天女)に心を動かされた漁師は、「舞を見せてくれるなら羽衣を返しましょう」と言います。
喜んだ天人は羽衣を着て舞を舞い、やがて天空へと去っていきます。
物語がシンプルで天女の装束も美しいところが帯の意匠にぴったりだったのでしょう。
昔は羽衣をテーマにした模様の着物や帯が多かったのかもしれません。
△能「羽衣」
(武田太加志記念能楽振興財団 パンフレットより)
羽衣の装束は鳳凰(ほうおう)のデザインが一般的で、白か紅(あか)を用いることが多いようです。
△紅地の装束(長絹 ちょうけん)(『演目別にみる能装束』淡交社より)
鳳凰が背中に大きく描かれています。
帯の装束は鳳凰と七宝の文様になっています。冠(天冠)も鳳凰です。
2.家庭に眠っていた昔の帯
①持ち主
この帯の持ち主は明治20年代に東京赤坂氷川町(ひかわちょう)の裕福な家庭に生まれた女性で、孫にあたる人の話では、華やかなものより凝った着物や帯を好み、晩年も自分でささっと着物を着て上手に帯を結んでいた方だったそうです。
②経年劣化がない
この帯は戦前に作られた、いわゆるアンティークの帯ですが、シミや傷みがなくきれいな状態です。
当時屋敷にはお蔵があり、着物類も良い環境で保存されていたこと、その後この帯を受け継いだ方がほとんど着用せずに専門店で手入れをして、大切に保管していたからだと思われます。
刺繍糸の色も鮮やかなままで、昔の金糸や色糸が上質であったことがわかります。
③引き抜き帯とは
江戸時代~大正、昭和初期に一般的に使用された丸帯の結び方からつけられた俗称です。
帯を結ぶ時、たれの端まで抜いてひと結びするのではなく、たれ部分が残るように「太鼓になる部分だけを引き抜く」という意味から名付けられたようです。
左が前に出る部分、右がお太鼓部分です。
右上に折り返されているのがお太鼓のタレ。
この帯をふつうに結んでしまうとお太鼓柄は逆さまになり、タレの柄も出ません。
ですから、引き抜き帯独特の結び方をしなければならないのです。
結び方はこちらで紹介しています。
3.着てみる
①付下げに
柄が控えめな付下げに合わせました。
左胸にあっさりした竹屋町(たけやまち)風の刺繍*が施されています。
*竹屋町刺繍……京都の竹屋町通りで生まれた刺繍で、紗の生地に平金糸(ひらきんし)や色糸でタテ糸をすくいながら文様を作っていくもの
裾は汕頭(スワトウ)刺繍と竹屋町刺繍です。
アンティークの帯とはわからないかもしれません。
印象的な後ろ姿になっているようです。
②前板(帯板)の工夫
引き抜き帯は、前で結んで後ろに回すことで誰でも着用できます。慣れれば難しくありません。
簡単に回せる前板を使うと前で結んだお太鼓を楽に回せる上、しっかりした前板は、柔らかい引き抜き帯もシワなく*現代風に見せてくれます。
*現代は前板を必ず使って前にシワができないようにしますが、昔は前板を使わなかったので正装でもシワが見られました。
帯にシワがあります。
この帯板を使えば回すときに衿元が崩れる心配もなく、楽に前結びができます。(収納しにくい形状ですが)
他にも、かさばらずに収納できる前板もあります。
③着用した感想
- この帯は地の光沢と刺繍の重厚感から、織帯のように訪問着や色無地でも合わせられると思った
- 濃い紫や黒地の渋い着物に合わせると、より帯の華やかさが強調されるかもしれない
- この帯の着用時期は3~4月が最もふさわしいが(能「羽衣」の季節は春)、それ以外でも袷の季節ならいつでも着用できると思った
- 昔の持ち主がどんなコーディネートをしていたのか知りたくなった
今日はアンティークの引き抜き帯をご紹介しました。
不思議なことに、私にはこの帯地の色が現代の能舞台のように見えます。
私が知る限り、かつての東京の能楽堂は今よりやや暗く、この帯が作られた戦前はもっと暗かったはずです。しかし、この美しい光沢を持つ帯は、まるで現代の明るい能舞台で舞う羽衣に見えるのです。
刺繍の松も舞台の松(鏡板)と重なり、帯全体が羽衣の能舞台を再現しているように感じました。