4月下旬、熱海MOA美術館に行きました。
開館40周年記念特別展「大蒔絵展」を開催していました。また、そこでは特別展示として現存最古の能装束を見ることができました。
1.熱海MOA美術館
①熱海MOA美術館とは
MOA美術館 (エムオーエーびじゅつかん、MOA Museum of Art) は、静岡県熱海市にある私立美術館。1982年(昭和57年)1月11日に開館。
岡田茂吉(おかだもきち、1882年 – 1955年)が創立者で、彼のコレクションを基盤に、国宝3件、重要文化財67件(2019年現在)、重要美術品46件を含む約3500件を所蔵している。
その内容は、絵画、書跡、工芸、彫刻等、日本、中国をはじめ東洋美術の各分野にわたり、美術的にも、研究的にも大きな魅力と価値のある作品によって構成されている。
2016年から改修工事を行い、2017年に新装開館した。
(Wikipedia.orgより抜粋引用)
ここでは美術品の展示だけでなく、いけばな、茶の湯、芸能などの幅広い文化活動を行っています。
また、日本庭園、数寄屋建築、竹林など、和の風情が広がる「茶の庭」は、散策するだけで癒されます。
②美術館メインエントランスまでの旅
私は熱海駅からバスで美術館まで行きました。
熱海駅前バスターミナル(8番乗り場)から「MOA美術館行き」に乗り約7分で到着します。(バスは1時間に2本でした)
チケット売り場があり、ここはエスカレーター入り口です。ここから7つのエスカレーターを上ります。
万華鏡が投影されているそうです。
彫刻家ヘンリー・ムーアのブロンズ像に出迎えられて階段を上ると……
絶景が広がっていました。
やっとメインエントランスに到着です。
扉の内側は漆塗りです。
人間国宝の室瀬和美氏が手掛けたもので、朱漆と黒漆のコントラストは、桃山時代に流行した「片身替(かたみがわり)」をイメージしているのだそうです。
△安土桃山時代の片身替小袖(復元)
片身替は右半身と左半身が違う模様になっています。(「特別展 きもの」 図録より)
③眺望と金の茶室、茶の庭
本館2階の海を望むロビーは静かでした。
椅子に座ってのんびり景色を眺めると時間を忘れそうになるので、早々に立ち去ることにしました。
茶道具は純金だそうです。
2.開館40周年記念特別展「大蒔絵展」と現存最古の能装束
①大蒔絵(まきえ)展
今回の展覧会は、MOA美術館、三井記念美術館、徳川美術館の3館が共同で開催したもので、平安時代から現代までの蒔絵作品を紹介するものでした。展示品には国宝16点、重要文化財32点が含まれていました。(参考:展覧会パンフレット)
印象に残った国宝の蒔絵などを少しご紹介します。
△展覧会のパンフレット
△国宝 澤千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃( さわちどりらでんまきえこからびつ)平安時代(12世紀)
(展覧会パンフレットより)
△国宝 梅蒔絵手箱(うめまきえてばこ) 鎌倉時代(13世紀)
(展覧会パンフレットより)
△国宝 初音蒔絵文台・硯箱(はつねまきえぶんだい・すずりばこ) 江戸時代(17世紀)
(展覧会パンフレットより)
△重要文化財 樵夫蒔絵硯箱(きこりまきえすずりばこ)江戸時代(17世紀)伝本阿弥光悦
(絵葉書より)
△蒔絵螺鈿丸筥「秋奏」(まきえらでんまるばこ 「しゅうそう」)2017年 室瀬和美
(絵葉書より)
衰えを知らない漆の力強さと金蒔絵の華やかさに感心したのはもちろんですが、千年を経てもなお、作品を通して作者や漆職人の気迫を感じられるような気がして驚きました。
②萌黄地菱蜻蛉単衣法被(もえぎじ ひしかげろう ひとえ はっぴ)
この日私が見たかったものはもう一つ、現存最古の能装束の展示です。
※ 展示の撮影はできないので、チラシやプログラムから引用してご紹介します。
△萌葱地菱蜻蛉単法被(もえぎじ ひしかげろう ひとえ はっぴ)室町時代(15世紀)
(展覧会チラシより)
△装束アップ
(観世能楽堂開場記念公演パンフレットより)
これは室町時代、三世観世太夫の音阿弥(おんあみ)が将軍・足利義政(1436~1490)から拝領したものです。
竹屋町(たけやまち)という刺繍によって模様ができています。
濃い緑色の紗の生地に金糸で刺繍された二重の襷文(たすきもん)、その中に蜻蛉(とんぼ/かげろう)がいろいろな向きで配されています。
トンボは現代では可愛い昆虫に分類されるかもしれませんが、古くは武士から「勝虫(かちむし)」と呼ばれ、縁起の良い虫とされました。それはトンボが前にしか飛ばない(不退転の)虫だからです。
将軍・足利義政が袈裟(法衣)として用いたものを音阿弥が拝領し、「法被(はっぴ)」という能装束に仕立て直され、観世宗家によって現代に至るまで大切に使用されています。
③装束展示の感想
室町時代の装束をかねがね見たいと思っていたので、展示室に入るとドキドキしました。
足利義政公拝領の装束は、傾斜のある白い台の上に袖を広げて静かに置かれていました。
能装束は衣桁(いこう)に掛けられて展示されることが多いですが、生地への負担からそれはできないのでしょう。
暗めの照明のせいもあり、確かに渋くて古めかしく、多くの修繕の跡も痛々しく見えました。
けれども竹屋町刺繍のトンボの多くには金糸の鮮やかさが残っていて、かなりの年月を掛けたであろう刺繍職人の情熱と執念がそこには残っているように感じました。
それは昔の蒔絵職人のパワーと同じだと思いました。
ところで、痛々しく感じた古い装束は、舞台ではまったく印象が変わるのです。
続きは次回に……