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紙の博物館・企画展 ~白石の紙布と紙衣~(2)

投稿日:2019年6月9日 更新日:

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前回に引き続き、紙の博物館・企画展を取り上げます。

今回は白石紙布について、二人の女性による講演を中心にご紹介します。

前回の記事はこちら。

1.白石紙布を残すために~池田明美さんの講演より~

①池田明美さん

手織り工房『草木染め手織り 柚ら里』を主催する池田明美さんは、白石紙布の伝統技術を残すために、紙布の研究と制作に励んでいます。日本工芸会会員 NHK学園あきる野校講師。(参考:配布資料)

 

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△池田明美さん

池田さんが着ているブラウスは、難しい「縮緬紙布」制作の初めの頃、あまり上手く縮まなかった紙布を使用して仕立てたものだそうです。

②白石和紙と紙布の特徴

池田さんは、白石和紙の原料であるカジについて説明してくださいました。

カジは「穀」と書き、コウゾ「楮」とは違います。カジはそもそも和紙にするための木でなかったようです。コウゾから漉いた和紙は乾くと強くなめらかになりますが、カジからできた和紙は濡れているときもつよく、ふんわりしているそうです。

カジを原料とする和紙から織り上がった布は柔らかく、洗うほどに白くなり、20~30年は持つそうです。

池田さんの仕事着は月3回ほど洗濯機にかけて、20年着ているとのことでした。

池田さんが、織った「紅梅織り」*紙布の作品は、日本伝統工芸染織展・日本伝統工芸展の入選作となっています。また、池田さんは縮緬紙布や紋紙布も制作しています。

*紅梅織りの紙布…タテ糸に絹、ヨコ糸に絹糸と和紙糸を交互に織ったもの。昔は白石で盛んに織られていたそうです。

 

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△紅梅織りの紙布の裃(江戸時代)

③白石紙布と紙衣の危機

白石紙布と紙衣は、江戸時代に城主・片倉家による奨励・保護のもとに発達しました。宮家や徳川に珍重されたほか、名産品として全国に知られていました。

しかし、明治以降は衰退し、昭和初期にはほとんど廃れてしまいました。その後、国の命により再現が試みられます。

片倉家15代当主の片倉信光を所長として昭和15年に「奥州白石郷土工芸研究所」が設立され、昭和16年、皇太子だった上皇陛下に復興紙布の最初の一反が献上されました。

(参考:池田さんの講演資料と「紙博だより第75号」)

 

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△復興紙布 反物(奥州白石郷土工芸研究所・昭和16~19年頃)

江戸時代に作られた古い型を用いて、アルファベットのような柄が型染めされた「復興紙布」

 

2.白石紙布の復興を引き継ぐ~佐藤和子さんの講演より~

①佐藤忠太郎氏

前述の「奥州白石郷土工芸研究所」では、地元の呉服問屋であった佐藤忠太郎が中心になって白石の伝統文化の調査・研究が行われました。

佐藤忠太郎は研究所で紙布を復興した後は、紙衣の調査に取り組みました。そして草木染めや東北地方を中心とした各地の紙すきに関する調査研究にも多くの成果を挙げました。

佐藤忠太郎氏の長男の奥さんが、講演者の佐藤和子さんです。

②佐藤和子さん

佐藤和子さんは独身時代から機織りの修業をしていて、ある日実家に佐藤忠太郎が訪れ、「長男の嫁になって紙布織りをしてほしい」と頼んだのだそうです。(長男は別の仕事に携わっており、紙布織りはしていなかったそうです。)

申し入れを受けた和子さんの父は後に、「娘の半分は婿に、残りの半分は白石にやったのだ」と言ったそうです。

昭和33年に結婚した和子さんでしたが、子育てや家の仕事に追われ、すぐには紙布織りに取り組めないまま、10年後には忠太郎夫妻が相次いで亡くなってしまいます。

和子さんが白石で本格的に紙布を織り始めたのは昭和47年でした。

初めてタテ・ヨコ和紙のもっとも難しい諸紙布(もろじふ)一反を苦労して織り上げたときには、「神様と亡き忠太郎が助けてくれた!」と感動したそうです。

昔から紙の仕事に携わる人々には<>という考え方があり、それほど魂を込めて紙や紙布作りをしていたのです。

③忠太郎からの宝物

和子さんは昭和50年に福島県に引っ越しますが、そのときに運んだ荷物の中に、忠太郎からの宝物を発見しました。

「奥州白石郷土工芸研究所」の歴史をはじめ、紙布に関する様々な調査と研究をまとめた多くの資料でした。

資料の中には、忠太郎が各地を歩いて手にした江戸時代の貴重な品もありました。

それらをひもとき、さらに工夫を重ねながら和子さんは紙布織りの研究を続け、諸紙布、縮緬紙布など、高度な織りまで復元することに成功したのです。

 

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△和染標本(奥州白石郷土工芸研究所・昭和32年、東北各地に伝わる染の標本)

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△紙布織りの見本

60年の長きにわたり紙布織りを研究、制作してきた佐藤さんは、パワフルでお話が面白く、とても魅力的な方でした。

きっと<紙=神>と対話しながらお仕事に励んでこられたのでしょう。
「紙布を織る」喜びが、長年の苦労を乗り越える原動力だったのではないかと、講演を聴きながら思いました。

 

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△講演終了後の佐藤和子さんと(私も紙布のきものを着ています。これについては後日とりあげます。)

 

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佐藤さんのきものは縮緬紙布と思われます。紙衣の帯も素敵でした。

 

3.拓本和紙 ~佐藤文子さん~

佐藤忠太郎氏の紙布織りの仕事を継承しているのは長男の妻の和子さんですが、紙衣の拓本染めの仕事を継いでいるのは次男の妻の文子さんです。

①拓本染めとは

佐藤忠太郎が生み出した紙衣を染める技法です。

忠太郎は昭和23年頃、こんにゃく粉を溶いた糊を塗って強化した和紙に型板で模様をつける“拓本染め”を生み出し、紙衣の素地である紙子(かみこ)を復活させました。

②佐藤文子さん

佐藤忠太郎の後継者だった次男渉さんの妻文子さんは、夫亡き後も一人で拓本染めの仕事をつづけています。

一昨年、和紙が大好きな私はインターネットで拓本染めのことを知り、直接「佐藤紙子工房」に電話をしてバッグを作っていただきました。

当日の講演会には佐藤文子さんもいらっしゃり、初めてお目にかかることができました。

 

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△佐藤文子さんが作る拓本和紙

次回に続く――

 

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