8月末から9月初めは気温が同じでも気分は少し変わりますね。今日はそんな時期のきもの、絽・竪絽・絽紬をご紹介します。
1.絽
着た日<8月31日(最高気温31℃)>
①駒絽(こまろ)のきもの
8月最後の日はもちろん夏物。友人と私、二人とも駒絽*です。
*駒絽…駒撚糸(こまよりいと)という撚りを強くかけた糸で織り上げた絽で、撚りをかけない糸を使う平絽よりシャリ感があって涼しいです。
私は茶色地の付け下げです。濃い色の絽は、盛夏より夏の終わりに合うようです。
帯は萩や桔梗が織り出された紗の袋帯です。袋帯といっても芯がなく、最近作り帯に直したので気楽に締めています。
このように遠目では柄の見えない帯を選んだのは、小物を引き立てる為です。
②帯締めとバッグ
無地に近い帯だと、更紗のバッグが映えます。
この更紗は「鶏頭手金更紗(けいとうできんさらさ)」
インドの草花模様で、鶏頭の花に似ているので名付けられたようです。前回ご紹介した(2016年9月3日)鈴木時代裂研究所が6番目に復原した更紗です。
帯締めには「唐花雙鳥長斑錦(からはなそうちょうちょうはんきん)」という裂が嵌め込まれていますが、近くで見ないとわかりませんね。
2.友人の駒絽のきもの
①北大路魯山人(きたおおじ・ろさんじん)の贈り物
友人の着ている駒絽のきものは、お母様が晩年に譲ってくださった大切なもので、北大路魯山人からの結婚祝いだったということです。
友人のお祖母様と北大路魯山人が親しかった関係で、お母様の結婚が決まった昭和33年、魯山人はそのことをたいそう喜び、お祝いとしてこの駒絽の反物を持って家を訪れたそうです。
②北大路魯山人とは
1883年(明治16年)~1959年(昭和34年)
日本の芸術家。本名は房次郎。晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。(Wikipedia.orgより)
美食家だった魯山人は、フランス料理の外見偏重傾向に批判的で、渡仏の際に訪れた高級鴨料理店では「ソースが合わない」と言って、堂々と、持参したわさび醤油で食べたそうです。
③両面染めの反物
魯山人が手に抱えてきた反物は、無造作に紙に包まれただけの物で、どこの呉服店か誰の作品かも不明だったそうです。
けれどもモダンな柄と鮮やかな色、そして張りのある上質の駒絽生地は、当時でも稀少性の高いものであったと思われます。
そして何といっても珍しいのは、表と裏が同じ柄で色違いの両面染めであるということです。
両面の異色染めはとても高度な技術が必要で、現代の絽ではほとんど作られていないということを、この日三越の呉服店の方が言っていました。
並外れた審美眼を持っていた魯山人が亡くなる前年に自ら撰んで届けてくれた駒絽の反物……。
私は魯山人のことを気難しくて怖いイメージでとらえていただけに、彼の思いが詰まった友人のきものは、優しさと共に不思議な魅力を発しているように感じました。
△鈴木一氏、鈴木一弘氏の親子二代で復原を果たした更紗の作品の前で
3.竪絽のきもの
着た日<9月2日(最高気温29.8℃)>
①竪絽(たてろ)とは
縦の方向に透き目を織り出した絽織りで、一般的な絽(経絽)より長期間(6~9月)着られます。
柄は紫陽花のようですが、紫に染め直ししてからは秋にも着られるようになりました。
(2014年8月26日の記事参照)
②更紗の帯
木綿の古いインド更紗を使って作り帯に仕立てたものです。
「鬼更紗」といわれる、粗い織りの木綿です。手触りはとても柔らかです。
かなり古い生地のようで、作り帯の見えない部分には擦れや小さな穴があります。
4.絽紬のきもの
着た日<9月3日(最高気温32.5℃)>
①絽紬とは
3日間で一番暑い日でしたが、お気に入りの絽紬にしました。
絽紬とは絽目の入った紬をいい、透けますが、紬は厚手なので盛夏には不向きです。
この日は銀座老舗レストランで、歌舞伎俳優市川門之助さんを囲んでの昼食会。カジュアル過ぎないように帯は白系に、全体の色に統一感を出しておとなしい組み合わせにしました。
この日は外を歩くのには暑かったですが、レストランの冷房にはちょうどよい感じでした。
6月と9月に大活躍する絽紬ですが、以前はもっと派手な色でした。
詳しくは後編でご紹介します。
②博多帯
夏帯はやめて、博多帯にしました。帯揚げは絽縮緬です。
――つづく