きものは子や孫の代まで着ることができますが、そのままではなく、形を変えて受け継がれていくこともあります。
今日はきものの先輩方の例を挙げて考えたいと思います。
1.男物黒紋付をきものに……青木玉さん
①青木玉(1929~)
随筆家。祖父は幸田露伴、母は幸田文。自伝的随筆『小石川の家』(1994年)で芸術選奨文部大臣賞を受賞しました。娘の青木奈緒もエッセイストとして活躍しています。
△青木玉さん(青木玉著『着物あとさき』(2006年 新潮文庫)より)
②祖父の黒紋付を受け継ぐ
青木玉さんは、祖父の幸田露伴が着ていた五つ紋付き黒羽二重の羽織を色抜きして染め直し、自分のきものにしました。
△黒羽二重の羽織を着た幸田露伴(前掲書より)
この写真は昭和12年、露伴45歳の時だそうです。
墨流し染めという技法による染め替えで鼠色のきものになりました。(前掲書より)
△墨流しの生地アップ
中央に幸田家の家紋がうっすらと見えます。(前掲書より)
③青木玉さんの思い
このリメイクについて、青木玉さんはこのように書いています。
「祖父が羽織を作ったのは、一体何時のことであろう。
祖父自身、注文したかもしれないし、お幾美(きみ)おばあ様だったかもしれない。
もしそうなら百年位前のこと、その長い時を紋付の羽織として務め上げ、再度抜いたり染めたりの苦労の跡も見せずに墨を流して、懐かし気に帰って来てくれた。
私にとってはまことに情の深い着物になった。」
羽織として務め上げたのちの色抜きや染めの苦労…青木さんはすっかり羽織の立場に身を置き換えて語っています。私はこの部分に共感を覚えました。
羽織は生き物ではないけれど、自分よりずっと長い時代を過ごしてきた存在。愛おしさや敬意に近い感情を青木さんは抱いたことでしょう。
時の流れを表現したような墨流し染めがとても素敵です。
2.男物のきものを道行きコートに……鶴見和子さん
①鶴見和子(1918年~2006年)
社会学者。(専攻は比較社会学)
和歌や日舞、着物などに関しての随筆も多くあります。一年を通してきもので暮らしていたそうです。
△鶴見和子さん(鶴見和子著『きもの自在』(1993年 晶文社)より)
②父のきものを受け継ぐ
鶴見さんは父・鶴見祐輔氏(政治家・著述家)のきものを道行きコートに直したものを愛用していました。
△きもので山登り(1985年)
春の吉野山を歩いた時の写真だそうです。(前掲書より)
このコートに関しての詳しい記述はありませんでしたが、山登りに着用したということは、軽くて着やすいものだったことが分かります。
③鶴見和子さんの思い
鶴見さんはまた、お父様の沖縄土産の芭蕉布のきものを長い間大切に着ていました。しかし、どこでも冷房が入るようになり寒くて着られなくなったため、雨ゴートに仕立て直したそうです。
NHKの対談で芭蕉布のきものを着ている鶴見さん。対談の相手はアメリカの小説家、パール・バック女史。(前掲書より)
△芭蕉布の雨コート(前掲書より)
梅雨どきにはおると、風通しがよく快適だそうです。
父の愛情をいつまでも身につけようとした鶴見さんの気持ちが伝わるコート2点でした。
3.袴を帯に……田中優子さん
①田中優子(1952年~)
日本の江戸文化研究者、エッセイスト、法政大学総長。講演やテレビ出演はほとんど着物でおこなうそうです。
△田中優子さん(田中優子著『きもの草子』(2005年 淡交社)より)
②父の袴を受け継ぐ
田中さんは、晩年謡の稽古をしていたお父様の形見の袴を帯にリメイクしました。
△仙台平*の袴を仕立て直した帯(前掲書より)
袴はそのままでは地味なので、宝尽くしの刺繍を施しました。お母様の友人である日本刺繍家の森喜美子さんの刺繍だそうです。
*仙台平(せんだいひら)…宮城県仙台市で作られる絹織物です。
江戸時代から明治、大正時代にかけて袴地の最高級品として知られました。
③田中優子さんの思い
この帯について田中さんはつぎのように述べています。
「着物、あるいはもっと広くとって布とは、私にとって単なる<もの>ではない。それを身にまとった人の魂(言葉を変えれば共有した時間、想い、記憶)がそこには移り住んでいる。」
中略
「こうして、袴だった帯は死者の思い出という意味を超えて新しい生命を与えられ、正月にもっともふさわしい<おめでたい>布に変身したのである。
父の形見でありながら、思い出の中に歩みをとどめるためのものではなく、ふたつとない私だけの帯が誕生した。着物とは、こういうことが面白い。」前掲書より
形を変えたきものは、思い出という存在ではなく、新たな命を宿した力強いものに生まれ変わったのですね。
そんな体験を私も何度かしましたので、次にご紹介します。
4.男物を受け継ぐ
①父のきものを道中着に
父が愛用していた結城紬の着物と羽織です。
きものを使って道中着を作りました。
裏地は主人の母が遺した長襦袢の生地です。
この道中着は、真冬でも私を暖かく包んでくれます。(2016.2.7の記事参照)
②義父の紗羽織を女物に
主人の父が遺した紗の羽織です。
汚れや穴あきがある古いものでしたが、自分で洗濯と直しを行い、女物の羽織にしました。
塵除けの長羽織になりました。(詳しくは2017.4.2の記事をご覧下さい)
義父の母が愛用していた縞御召のきものの上に羽織ってみました。(2017.3.5の記事参照)
傷みが多くて悉皆屋さんが仕立直しを受けてくれなかった紗の羽織ですが、自分が手がけることで、より愛着が湧きました。処分しなくて良かったと思います。
③絽の袴地を道行きコートに
義父の遺品の袴地をコートにしました。次回お伝えします。
つづく――