今日は東京都中央区銀座8丁目の「金春(こんぱる)通り」で行われるお祭りについてご紹介します。
少し長くなりますがお付き合い下さい。
なお、2016年「能楽金春祭り」の情報は見出し5番目に記載しています。
1.金春通りとは
銀座8丁目の中央通りより 一筋西側の通りの名称です。江戸時代、ここに能楽金春流の屋敷があり、金春稲荷が祀られていました。
(「能楽金春祭り」パンフレットより抜粋)
金春の名を今も残している銭湯「金春湯」。 文久3(1863)年創業だそうです。
2.「能楽金春祭り」とは
毎年、8月1日~8月7日に開催される祭りです。
①路上奉納能(8月7日)
能楽金春流の宗家を中心に流儀の能楽師や囃子方、狂言方が路上で演能を行います。
その演目は金春流が古来より奈良の地で受け継いできたものです。春日若宮おん祭りで演じられる「弓矢立合(ゆみやのたちあい)」や、興福寺薪能で演じられる「延命冠者(えんめいかじゃ)」「父尉(ちちのじょう)」などを基にして構成されています。
②能楽講座(8月1日~8月6日)
能楽師による講演や体験講座、親子体験教室、能楽写真展示会などがすべて無料で行われます。
3.「能楽金春祭り」の歴史
「能楽金春祭り」は「金春通り会」の初代会長・故 勝又康雄(かつまた やすお)氏と金春流先代宗家・故 金春信高(こんぱる のぶたか)氏の出会いがきっかけでした。
①「金春屋敷跡」の説明板
勝又康雄氏は銀座8丁目にある洋装店ノーブルパールの創業者です。
昭和53年、〈金春〉という通りの名が忘れられつつあることを危惧した勝又氏は、中央区の教育委員会に「何か形に残したい」と提案しました。それが取り上げられ、区の重要旧跡として「金春屋敷跡」の説明板が立てられました。
②「銀座金春通り会」発足
翌年の昭和54年、勝又氏は 当時銀座内の通り名を統一してしまおうとする動きに反対し、地元の老舗の人々と共に 江戸時代からの由緒ある「金春通り」の名を残すべく「銀座金春通り会」を発足しました。
③金春信高氏と出会う
数年後、勝又氏は中央区主催の講演会で金春信高氏と会い、金春通りと地域の活性化のために何か出来ないかと話し合いました。
④「能楽金春祭り」開催へ
話し合いの結果、金春信高氏の
「もともと金春の能は田楽です。道幅8mあれば十分、路上で能をやりましょう!」
というひと言で「能楽金春祭り」開催が決定されました。
こうして昭和60年、銀座というゆかりの地に伝統芸能を根付かせようというこの試みは、地元と金春円満井会(金春流公益社団法人)の協力体制によってスタートしたのです。
以上「江戸開府400年・特別取材~中央区を語る~(2003年)」勝又氏へのインタビュー記事をもとにご紹介しました。
⑤昭和60年「第1回能楽金春祭り」
第1回は8月6日の昼間に行われました。
この日は平日でしたが、昼休みのサラリーマンなども含め約250人が鑑賞に訪れました。
開始直後。浴衣姿の勝又氏を先頭に能奉行・能楽師らが登場するところです。
当日は広島原爆の日だったこともあり、「平和と長寿を祈る演題をとくに選んだ」という金春信高氏のコメントが紹介されていました。
4.思い出
①ノーブルパール
勝又氏の洋品店「ノーブルパール」は昭和21年創業の輸入生地による婦人服オーダーとプレタポルテのお店です。40代以降の母はきものしか着ませんでしたが、洋服にも結構うるさく、まだ学生の私に大人のお店ノーブルパールで時々洋服を誂えてくれました。
生地と仕立てにこだわるノーブルパールの洋服は、どこか着物と共通する部分があったのかもしれません。
何よりもお店のゆったりした雰囲気や勝又氏の楽しいお話が魅力的で、母と私はショッピングの帰りにいつも立ち寄っていました。
両親は銀座7・8丁目のお店による食事の会で勝又夫妻と知り合い、晩年まで親しくお付き合いしていました。
②昭和60年「第1回能楽金春祭り」の大切な写真
△ 昭和60年8月6日「能楽金春祭り」開始を待つ母と私(手前)
△ 終演後の宗家と共に(楽屋として使われていた銭湯「金春湯」にて)
中央が先代宗家・金春信高氏、隣が勝又康雄氏です。
宗家の晴れやかな笑顔と、勝又氏の 緊張の中にも満足感いっぱいの表情が当日の興奮を思い出させてくれます。この日私たち母娘は初めて宗家にお目にかかりました。
③昭和62~64年・手拭い甚平の思い出
これは勝又氏に頂いた金春通り会の手拭いです。
昭和62年、生後9ヶ月の息子を金春祭りに連れて行くために、母は手拭いで甚平(上着だけ)を縫ってくれました。
保管してあったのを久しぶりに出してみました。
勝又氏は手拭いを手にして嬉しそうな様子です。
小さく母と息子が写っています。(雑誌『銀座百点』より)
母は3年間手拭い甚平を縫いました。一回りずつ大きくできています。
柔らかい手拭いは小さな子供にとっては着心地の良いものだったようです。
2枚目の甚平を着ています。(金春稲荷御旅所前で)
△ 昭和64(1989)年 3枚目の甚平を息子に着せて歩く私と母
金春祭り5回目のこの年から路上奉納能は夕方行われるようになりました。
△ 5年目に初めて演じられた「獅子三礼(ししさんらい)*」(父が撮影)
これ以降、「獅子三礼」は5年毎に演じられています。(通常は「弓矢立合」です)
*獅子三礼…能『石橋』の獅子の舞を金春祭り用に工夫したもので、これ以降5年毎に演じられています。通常は「弓矢立合」です。
5.2016年の能楽金春祭り
32回目となる今年の「能楽金春祭り」は、例年通り8月7日の路上奉納能を中心に行われます。
①路上奉納能
- 日時…8月7日(日)午後6時開演(終了予定午後7時)
- 場所…銀座金春通り・スリーエイトビル前
- 座席指定券(観覧無料)…当日午後4時より、金春通りにおいて配布
*座席券がなくても後方での立ち見は可能 - インターネットのライヴ配信
昨年から始まりました。
日本だけでなく、世界中に配信されるのですから嬉しいことです。
https://www.facebook.com/komparuginza
②能楽講座(無料)
- 8月2日(火)…講演
- 8月3日(水)…体験講座〈音楽〉
- 8月4日(木)…講演
- 8月5日(金)…講演
- 8月6日(土)…体験講座〈謡・仕舞〉
*午後2時~3時半
③親子体験教室(無料)
8月2日、4日、6日
*12時~1時
*小学生以上対象
④能楽写真展示(無料)
8月2日~7日
*午前11時半~午後6時(最終日は午後4時半まで)
⑤能楽師によるギャラリートーク
8月3日、5日、7日
*12時15分~12時45分
②③④⑤の会場は
「タチカワブラインド銀座スペース オッテ」
詳細はこちらをご覧下さい。
6.金春色(こんぱるいろ)の銘板と遺構について
銀座8丁目に行けばいつでも見られる珍しい色の銘板と、手で触れられる遺構があります。
①「金春通り」銘板
この青色を「金春色」といいます。金春通りに置屋があった金春芸者(のちの新橋芸者)が好んで使った色だからだそうです。
この鮮やかな青色はとても目立ちます。
パンフレットの色も金春色です。
②金春通り煉瓦遺構(れんがいこう)の碑
ノーブルパールの前にあります。
明治期、大火を恐れた明治政府は国家予算の4%を費やして丸ノ内と銀座に煉瓦街を造りました。
しかし関東大震災で消失してしまいました。その煉瓦街の遺構が昭和63年に金春屋敷跡で発掘されました。
それを平成5年に「金春通り会」が記念碑としたものです。
7.これから
①「金春通り会」4代目会長
現在「金春通り会」の会長は、ノーブルパール現社長・勝又和幸氏です。
和幸さんは、勝又康雄氏の二女・美代子さんのご主人で、夫人と共に今年創業70周年を迎えたお店を守っていらっしゃいます。
先日、久しぶりにお店に伺いました。
②勝又会長に聞く・今後の抱負
「金春通りはこの30年で老舗のお店が何軒か減った為、会の仕事を分担するのも父の頃より大変になって来ました。会長自らが雑務までやっています(笑)。
でも、能楽金春祭りを続けることは地域のためだけでなく、能楽全般、そして日本の芸術文化のためにも意義のあることと思っていますので、出来る限り続けていくつもりです。一人でも多くの方に見ていただき、何か感じていただけたら嬉しいです。」
③会長夫人に聞く・父 勝又康雄氏について
「父は常々、『街の繁栄は文化を大切にすること』と言っていました。銀座を大切にするのはもちろん、街の持つ歴史と文化、そして人と人とのつながりをとても大事にしていました。商店も文化を大切にしてこそ継承してゆけるのだと思います。」
④感想
金春通り商店街はこの3~40年でずいぶん変っていますが、ノーブルパールさんは改装をしても不思議なほどお店の雰囲気が変わっていません。
忙しい中でもにこやかに応対してくださったご夫妻は、確実にお父様からの伝統を継承し、これからも能楽金春祭りや街の文化のために尽くされるに違いない、と思いました。