先日東京池之端にある旧岩崎邸庭園へ行きました。
“きもの好き”の視点からの見学ですが、2回にわたってご紹介します。
1.旧岩崎邸庭園とは
明治29(1896)年に岩崎彌太郎の長男、三菱第3代社長の久彌の本邸として造られました。現在は当時の敷地の3分の1で、20棟あった建物も3棟のみになっています。
現存する3棟は洋館・撞球(どうきゅう)室・和館で、いずれも重要文化財に指定されています。
嬉しいことに、2016年(今年)4月1日から、平日のみ岩崎邸館内の写真撮影が可能になりました。
ただし4月29日から5月8日(日)までは館内での撮影はできません。5月4日(みどりの日)は無料開園日だそうです。
2.洋館
英国人建築家ジョサイア・コンドル設計の洋館は、英国17世紀のジャコビアン様式*を基調としています。
*ジャコビアン様式…イギリス17世紀初頭、 ジェームス1世時代の美術作品、又は少しのちの建築、装飾、家具などをさします。末端がツルを巻くような形状の装飾が特徴です。
①外観
異国情緒あふれるシュロの木の向こうが洋館です。
②玄関ホール
③暖炉
各部屋に設けられた暖炉はそれぞれ違うデザインです。
④暖房器具
凝った細工が気になったので係員さんに尋ねました。
温熱暖房装置・ラジエターで、中がパイプになっていてその中に温水が通り部屋を暖めるものです。天使の像まで描かれているこの美しいラジエター、もとは金色だったとか。
米国から取り寄せて各部屋に設置されてからは暖炉は次第に使われなくなったそうです。
⑤サンルームと昔の写真
1階のサンルームにはここで過ごした岩崎久彌氏と家族の写真が飾られています。
前列左から久彌の妻 寧子(しずこ)・母 喜勢・長女 美喜・久彌・次女 澄子
後列左から三女 綾子・三男 恒彌・長男 彦彌太・次男 隆彌
大正11年5月撮影で、この時久彌は56歳、寧子は48歳。エリザベスサンダースホーム創立者である長女 美喜の結婚記念に撮られた写真だそうです。
それにしても女性たちのきもの姿が美しいですね。明治末から大正時代の定番の髪型「庇髪(ひさしがみ)」を結った三人の母娘は同じように豪華な帯に帯留め+細い帯締めをしています。
年齢を調べてみたところ、長女美喜は21歳、次女澄子は19歳だったと思われます。現代の20歳前後の女性と比べると、きものと髪型のせいか大人っぽく感じます。
後列左の三女綾子は14歳。女学生らしい髪に後ろはリボンでしょうか。肩揚げが初々しいです。
対照的なのは祖母の喜勢です。ひっつめ髪に無地のきものと羽織姿で地味な印象です。この時77歳だった喜勢は翌年亡くなったようです。
現代女性の77歳は若くて綺麗で、華やかなきものを着る人も多いですが、昔は違いますね。ましてや未亡人となると、服装も限られていたのかもしれません。
⑥天井
1階・書斎の天井。アカンサス(葉アザミ)の葉の彫刻だそうです。アカンサスは古代ギリシャ以来、建築物や装飾のモチーフにされ、私たちもよく目にするデザインです。
⑦大階段と柱
階段の手すりを支える縦木にはジャコビアン様式の蔓草文様の装飾が見られます。
こちらも蔓草文様が施された太い柱
⑧ミントン社製タイル
1階ベランダの床です。撮影するのを忘れたのでポストカードからの引用でご紹介します。
⑨2階客室の壁紙
金唐革紙(きんからかわし)の壁紙が使われています。これは再現されたものですが、大変豪華で美しいものです。
岩崎邸鑑賞ポイントのひとつである金唐革紙の壁紙については、また改めてご紹介します。
⑩2階ベランダ
白い列柱はイオニア式という様式だそうです。芝生や木々の緑とのコントラストが美しく、撮影スポットとしては魅力的な場所です。
右下に和館が見えます。
3.和館
①外観
洋館に併置された和館は書院造りを基調としています。
②渡り廊下
洋館と和館は、この渡り廊下でつながっています。
③船底天井
渡り廊下の天井は、中央が端より高く、船底を逆さにしたような天井です。広く見せる効果があるようです。
④裏庭(坪庭)
岩崎家の日常生活の場となっていた和館です。やはりこの景色を見るとほっとします。
⑤板絵
この先にあるものは……
明治期の日本画の巨匠、橋本雅邦のミミズクの板絵でした。
4.撞球室(どうきゅうしつ)
コンドル設計のビリヤード場です。
①外観
当時の日本では珍しいスイスの山小屋風の造りだそうです。
②内部
社交場として使われていたようです。ビリヤード台は今はありません。金唐革紙の壁紙が貼られています。
次回へつづく――