今日は胴抜きの袷をご紹介します。
1.昭和50年代前半の十日町紬
このきものは明治37年生まれの祖母が、70歳頃に新潟へ旅行した際に購入した十日町紬です。
袷でも胴裏がない「胴抜き」仕立てになっています。裾には薄紫のぼかしの八掛がついています。袖口も薄紫。袖裏には薄い絹がついています。
衿裏と裾の八掛上部には袖裏と同じ薄い絹の裏地がついています。着た場合、裾と袖口、振りは袷になっているので身頃が単衣ということはわかりません。
また胴抜き仕立てには、八掛のみを付けて別の生地は使わない場合もあるようです。いずれにしても背中と胸は単衣というわけです。
ぽっちゃり体型の祖母は汗っかきだったのかもしれません。「胴抜き」は少しでも涼しく袷を着たいという昔の人の工夫なのです。
2.祖母と母からのメッセージ?
このきものは、私が20代前半には祖母から母のもとへ来ていました。祖母は母より派手好みでしたが、70歳過ぎてこのような若向きの紬を購入したのは私に着せたいという思いがあったからでした。そして作ってから数年で母に託されたことになります。
当時「これ、お祖母ちゃまがあなたに着てほしいと下さったのよ」と母から言われたことを覚えていますが、その頃の私は、はっきりした色あいで袖丈も長い着物しか着なかったので、薄色で袖も短く八掛も地味なこの着物には魅力を感じませんでした。
それから…何と約30年もそのままにしてしまいました! 初めて袖を通したのは一昨年。「胴抜き仕立て」の存在もその時初めて知りました。
着物が入っていた”たとう紙”です。母は自分の着物のたとう紙にこの紬を入れ替えて、名称を書いています。そして「これは私が貰ったものではないから、あなたが着なさいね」と口にこそ出しませんでしたが、この着物を着ることは一度もありませんでした。
余り布はたっぷり。きものと一緒に納められていました。今になって「薄い色だから、掛け衿が汚れたらこれを付け替えてね」という祖母の声が聞こえるようです。
3.暑い日に着てみました!
帯は紬地に花の更紗文様。5月の連休、夏日が続いた東京は半袖姿も多かったのですが、祖母の胴抜き袷で快適に銀座のショッピングを楽しむことが出来ました。
ずいぶん時が経ってしまいましたが、祖母に感謝した一日でした。
銀座三越「サロン ド きもの」にて。友人と。