今日は木綿絣の代表格である久留米絣を取り上げます。
1.久留米絣(くるめがすり)
①久留米絣とは
福岡県久留米市および周辺の旧久留米藩地域で製造されている絣。綿織物で、藍染めが主体。
あらかじめ藍と白に染め分けた糸(絣糸)を用いて製織し、文様を表す。伊予絣、備後絣とともに日本三大絣の一つともされる。
久留米絣の技法は1956年に重要無形文化財に指定され、1976年には通商産業大臣により伝統工芸品に指定されている。
(Wikipediaより)
久留米絣は、江戸時代後期(1800年頃)、井上 伝(いのうえでん)という当時12才の少女の好奇心から生まれました。
伝は着古した藍染めの白い斑点に興味を覚え、それを解くことで絣模様を成す仕組みを会得したといわれています。
久留米絣は藍の濃淡と白のコントラストが美しく、また丈夫で着心地が良いので、昔は子供から大人までの日常着として愛されてきました。
②製作工程
久留米絣は経(たて)糸と緯(よこ)糸両方に絣(かすり)糸*を使います。
*絣糸…模様を織り出すために部分的に染め分けた糸
伝統的な久留米絣の工程は、30以上にのぼります。
図案を起こして糸を括りそして染め、機織りをして一反が完成するまでには約二ヶ月かかり、今もそのほとんどは手作業で行われているそうです。
また天然の藍で糸を染める工程も重要です。
薄い藍色で15~20回、濃い色は60回も藍染を繰り返すそうです。
△藍染を行う様子(出典:木村孝(2002)『染め織りめぐり』JTBキャンブックス)
③戦前の久留米絣
△大正初期(1912年)の久留米絣 松枝栄 作(松枝家所蔵)(出典:『美しいキモノ』2015年秋号、ハースト婦人画報社より)
黒に近い濃紺地で制服にも用いられたそうです。
我が家にもよく似た濃紺地の久留米絣がありました。
大正生まれの親戚が子供の頃着ていた物を譲り受け、昭和生まれの息子と平成生まれの娘がそれぞれ着ました。男女どちらが着ても可愛い柄です。
2.松枝玉記の久留米絣
①松枝家
久留米絣を家業とする松枝家は、福岡県三潴(みづま)郡大木町で1870年(明治3年)頃、松枝光次という人が初代として絣を作り始めました。
その後二代目の栄、三代目の玉記、玉記の孫の哲哉、その息子の崇弘、というように現在まで久留米絣は作られ続けています。
②松枝玉記
三代目の松枝玉記(1905~1989)は、旧制八女中学卒業後、家業の絣織りを始めました。
黒に近い濃紺地に、伝統的な幾何学模様が中心だった久留米絣にやわらかい色を取り入れたり、精巧な絵絣を創出しました。
庶民の日常着だった久留米絣を、芸術の域にまで高めた人です。
1957年に重要無形文化財技術保持者となり、1959年には、技術保持者の代表者となりました。
△松枝玉記(出典:『美しいキモノ』ハースト婦人画報社2015年秋号)
△松枝玉記の作品「島」(1981年76歳)(出典:前掲書)
唐津の海と島を織り表した代表作 所蔵/福岡県立美術館
△松枝玉記の作品「献穀」(1976年71歳)(出典:前掲書)
稲穂と米俵、米絣を段熨斗目(だんのしめ)に配したもの 所蔵/福岡県立美術館
3.松竹梅の久留米絣を着る
松枝玉記の久留米絣を5月と10月に着用しました。
①イカット風の紬帯で
5月末、友人とのショッピングに着用しました。
藍とグレーの抑えた組み合わせは周囲から浮くこともなく、混んだデパートでも気楽に買い物を楽しめました。
松竹梅のようです。柄が大きくないので、控えめなカジュアル感です。
②白っぽい帯で
今日、10月1日、新劇の舞台鑑賞に着用しました。東京の最高気温は25℃。単衣の久留米絣がぴったりの陽気で、気持ちよく過ごせました。
帯地にはブルー系の糸が織り込まれているので、全体を青で揃えてみました。①の取り合わせよりもクールで少しよそゆきの雰囲気になったと思います。
帯締は今まで出番が少なかったポップな青色にしてみました。洋風な帯飾りは、色が綺麗で気に入っています。
完全に普段の装いとしてこのきものを愛用していた母の時代には、このようなコーディネートはあり得なかったでしょう。
年月を経て柔らかく、着やすくなっている久留米絣。ほのかに香る藍の匂い…
このきものを着るといつも気持ちがリラックスします。
ご紹介したきものの端布です。松枝玉記の「玉」の字が印象的です。
現在は松枝玉記の孫の哲哉さんが五代目として活躍されており、哲哉さんの息子の崇弘さんも久留米絣の道を歩んでいるそうです。
これからも受け継がれてゆく藍と絣の技に期待が膨らみます。