イベント訪問

GINZA SIX 観世能楽堂 開場記念公演

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今月オープンした複合施設 GINZA SIX。そこには能楽堂も作られました。今日、開場記念公演に行ってきましたのでご紹介します。

1.観世能楽堂

①観世能楽堂とは

能楽流派の観世流の本拠地です。2015年3月まで渋谷の松濤にありましたが、銀座松坂屋跡地中心に誕生した複合施設「GINZA SIX」に移転・開場しました。(オープン日は2017年4月20日でした)

総檜の舞台は松濤・観世能楽堂のものがそのまま移築されました。(2015年閉場後、舞台は長野県内に二年間保管されていました)

座席数は480席で能の公演以外にも利用できる多目的ホールです。観世能楽堂は「GINZA SIX」の地下3階にあります。

②観世流とは

日本の伝統芸能として600年以上の歴史がある能楽ですが、観世、宝生、金春、金剛、喜多という5つの流儀があります。観世流はその中でも最大の流儀で、現在は二十六代目の観世清和が宗家をつとめています。

観世流にとって銀座は、十世観世重成が土地を拝領してから約200年間本拠地を置いた所縁の地だそうです。

能楽は国の重要無形文化財であり、2008年には歌舞伎とともにユネスコの無形文化遺産にも指定されています。

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△二十六世宗家・観世清和氏
『能はこんなに面白い!』観世 清和 ・ 内田 樹 著  出版社: 小学館  2013年より

③開場記念公演の番組(プログラム)

開場記念公演は、二十六世観世宗家の観世清和をはじめ、各流宗家、流儀を代表する能楽師、人間国宝、芸術院会員が顔をそろえ、番組は昭和47年4月に行われた松濤の観世能楽堂舞台披き祝賀能組と同じものが再現されているそうです。

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△記念公演の案内

<祝賀能>

4月20日~23日… 能「翁」観世 清和、 舞囃子「鶴亀」、能「祝言之式 高砂」
「翁」はすべてシテ観世清和。その他は演者がかわり、他流宗家による仕舞もあります。

<日賀寿(ひかず)能>*

4月27日… 能「菊慈童」山階彌右衛門、能「草子洗小町」野村四郎
4月28日… 能「鷺」角寬次朗、能「羽衣」木月孚行
4月29日… 舞囃子「高砂」山階彌右衛門、半能「土蜘蛛」観世清和
4月30日… 能「吉野天人」武田志房、能「道成寺」観世清和

*日賀寿能…能は通常1日公演ですが、江戸時代に幕府から特別に許された連続興行を日賀寿能といい、その名に由来しています。

 

2.記念公演最終日の観世能楽堂へ

能楽堂へ行くには中央通りではなく、三原通り側の入口から入ります。

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△チケットとともに配られた案内図

写真でご紹介します。

①GINZA SIX を中央通りから見ると

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平日のGINZA SIX。平日でもここを目指して大勢の人の列が続きます。

 

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銀座6丁目のシンボルになりました。

②能楽堂へ行くには

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角のFENDIを曲がり、

 

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みゆき通りに入ります。

 

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建物の下はあづま通り。一方通行で車も走っています。

 

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みゆき通り側入口の案内板。能楽堂へは50m先を右折するよう矢印があります。

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(三原通り側から撮影)ビルの角を曲がると

 

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銀座初の観光バス乗降所(ツーリストサービスセンター)があります。これで銀座の観光バスの乗降や待機による道路の混雑が解消されると良いです。

 

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ツーリストサービスセンター入口

 

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ツーリストサービスセンターのすぐとなり。ここが能楽堂へ向かうエスカレーターの入口です。

 

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三原通り側から建物を見たところ。柱の奥がエスカレーターへの入口です。

 

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エスカレーターを降りると……

 

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地下3階に見えてきました!

③「二十五世観世左近記念 観世能楽堂」

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エスカレーターを降りると、公演案内と老松を描いた鏡板が出迎えてくれました。

モダンにも見えるこの公演案内の文様は、観世宗家伝承の装束です。

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△ 花色地亀甲鶴袷狩衣(はないろじ きっこうつる あわせかりぎぬ)

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△ 花色地青海波亀袷狩衣(はないろじ せいがいはかめ あわせかりぎぬ)

いずれも徳川秀忠公拝領の装束です。(記念公演パンフレットより引用)

 

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まだ入場前ですが、この松を見ただけで期待が膨らみます。

 

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この能楽堂は、生涯に2度も能楽堂を建設し、戦後の流儀発展に貢献した二十五世 観世左近*の偉業をたたえ、「二十五世観世左近記念 観世能楽堂」と命名された、とあります。

*観世左近(1930年 – 1990年)…二十五世観世宗家。観世元正。昭和63年左近襲名。現宗家、観世清和の父。

④ロビー

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入場するとすぐ目に入った観世流の方々からのご挨拶の言葉です。

 

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ロビーはお祝いの花でいっぱいでした。

 

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売店

⑤見所(けんじょ)*内

*見所…能楽堂の見物席のこと

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正面後方から見た舞台

 

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中正面後方から見た舞台

 

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脇正面後方から見た舞台

 

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脇の席と橋掛かりが近いです。面や装束が良く見えそうです。

 

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舞台や鏡板は以前のままです。

 

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屋根の檜皮(ひわだ)は新しく葺(ふ)いたそうです。

 

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座席は以前より前後左右の幅がゆったりしていて座り心地がよいです。また、椅子は前後で互い違いになっています。

⑥目付柱(めつけばしら)

目付柱は正面から見て左手前の角に位置する柱のことです。

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△目付柱

面(おもて)をつけた能楽師は、視界が大変狭くなるため、この柱を目標物
として自分の位置を把握します。

能にとっては大変重要な柱ですが、客席の位置によっては邪魔になることがあります。この能楽堂では、能以外の公演時に取り外すことができるそうです。

 

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手前が目付柱で奥に見えるのはワキ柱です。(ワキが座る位置にあるため)
目付柱のない公演も見てみたいと思いました。

 

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新しい能楽堂はゆったりと落ち着いた雰囲気でした。

 

3.演能

今日は日賀寿能の最終日、能「吉野天人」と、観世宗家による能「道成寺」でした。

①吉野天人(よしのてんにん)

<内容>

吉野の桜を見ようとやって来た都人たちが満開の桜の山に分け入ると、美しい里女が現れます。花を友としてこの山に暮らしているというその女性と楽しく花見をする一行。やがて女性は、じつは天人であることを明かし、「今宵はここで信心し夜を明かすならば、真の姿で現れ天人の舞を見せましょう」と約束して姿を消します。(中入)
月明かりのもと、舞い降りた天人は、袖を翻して美しい舞(中之舞)を舞います。

出典『観世流初心読本・上』二十四世観世左近著 昭和41年 檜書店発行 より

<特殊演出>

今回は「天人揃(てんにんぞろえ)」という小書(こがき・特殊演出)でシテと同装のツレが5人登場。舞台と橋掛かりに分かれて相舞するという大変華やかな舞台でした。

②道成寺(どうじょうじ)

<内容>

Wikipediaに興味深く説明されていましたのでご紹介します。

『道成寺』 は、紀州道成寺に伝わる、安珍・清姫伝説に取材した能楽作品。観世小次郎信光作といわれる『鐘巻』を切り詰め、乱拍子を中心に再構成したものという。
後にこの能の『道成寺』を元にして歌舞伎の『娘道成寺』や浄瑠璃の『道成寺』、琉球組踊の『執心鐘入』などが作られた。

小鼓との神経戦である乱拍子(間をはかりながら小鼓に合わせ一歩ずつ三角に回る。大きな間をとるので、ラジオ放送では放送事故 – 無音時間過長 – になったこともある)から一転急ノ舞になる迫力、シテが鐘の中に飛び込むや鐘後見が鐘を落とすタイミング、鐘の中で単身装束を替え後ジテの姿となる変わり身と興趣が尽きない能である。

能「道成寺」は以前にも取り上げましたが(2015年8月30日)、能の中でも特別重要で面白い能です。

舞台上の演者や後見ばかりでなく、観客も緊張するという珍しい能で、100キロ近い鐘が舞台に運び出され棹で吊るし上げられる時は、まだ能が始まる前でも客席は張り詰めた空気に包まれます。

観客の期待に満ちた気持ちが一つになるようで、私はこの瞬間が好きです。

一歩進めて能鑑賞 演目別にみる能装束』という本にわかりやすい写真が掲載されていますので、一部をご紹介します。

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△ 狂言方が鐘を運び、棹で屋根の滑車に綱を通します。
(その後、綱を引いて鐘を屋根に吊り上げるところからは、シテ方鐘後見が担います)

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△乱拍子

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△鐘入り

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△後ジテ・蛇体の怨霊(ここでは特殊演出で「赤頭」を付けている)

上の写真はいずれも
『一歩進めて能鑑賞 演目別にみる能装束』観世喜正(著者),正田夏子(著者),青木信二(撮影)販売会社/発売会社:淡交社より

<「道成寺」の感想>

シテ・観世清和と小鼓・観世新九郎(小鼓方観世流宗家)の息の合った乱拍子が圧巻でした。

通常よりも短い乱拍子でしたが、小鼓に合わせて間を取りながら足を運び、そこから急ノ舞、鐘入り、となるまで二人の内に込めた気迫はものすごく、シテ方観世流、小鼓方観世流の両宗家が新たな誓いを込めているかのように感じました。

また地謡(コーラス)も地頭(リーダー)岡久広を筆頭に八人の息が揃い、迫力の謡を聴くことができました。

 

4.当日のきもの

①黒地の訪問着で

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雲取りに菱文様の訪問着です。

母が生前これを着て何回か観世能楽堂の舞台に立ったことがあり、母の思いを身にまとうような感覚でこれを着ました。

「葵の上」の仕舞が最初の着用だったので、母はこの訪問着を「葵の上」と呼んでいました。

 

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△ 観世能楽堂(松濤)の舞台で『花筐(はながたみ)』を舞う母

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このきものは渋い地色ですが、何だか凄味?もあるので私はあまり着る機会がなく、前回着たのは4年前、娘の高校の卒業式でした。

 

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△卒業式で

黒や紺のスーツが多い保護者の中であまり目立たない地色、という理由で選びました。

②白地の名古屋帯

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長時間の能鑑賞には袋帯は重いので、若松華瑶製「丈二名古屋帯(じょうになごやおび)」にしました。

「丈二帯」とは一丈二尺の全通の帯という意味です。織の名古屋帯で胴部分は開き仕立てです。格のある名古屋帯としてあらたまった場所にも着用できます。

 

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お祝いなので白地の帯に朱系の帯締めを合わせました。

帯揚げは流水文ですが、自分では観世水文のつもり。そして帯締めは鼓の調べ緒をイメージして選びました。(ただの自己満足です)

③草履

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シンプルですが、鼻緒が紅白なのでこれを選びました。

④コートとバッグ

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コートはレースの道行きです。若い頃のもので、今の流行より丈が短いですが、私は気にしないで着用しています。

 

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バッグはきものと同じような菱文・亀甲文です。

 

5.能楽堂の思い出はきものと共に

 

①鬼しぼ縮緬のきもの

渋谷区松濤に観世能楽堂ができたのは今から45年前の昭和47年でした。当時の舞台披き祝賀能には行っていませんが、同年秋か翌年春に両親と行った記憶があります。なぜ覚えているかというと、お気に入りの縮緬のきものを着ていたからです。

出来たての能楽堂は明るく広々としていて天上も高く、空気も澄んでいるように感じました。椅子は最新式で座りやすく、舞台も鏡板の松もピカピカ輝いて見えました。

まだ小学生で子供用の袖の長いきものを着ていた私は、椅子から立ち上がる時に袂を椅子の肘掛けに引っ掛けてしまい、袖付けが少しほころびてしまったのです。

大事には至らなかったものの、嬉しい気分から一転、とてもショックでした。そんな出来事が能楽堂の記憶をより鮮明なものにしているのかもしれません。

 

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昭和47年、同じきものを着ている写真(東京都港区の八芳園にて)

 

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今でも着ています。(2016.6.18の記事参照)

②黒地の小紋

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△ 昭和49年 観世能楽堂の前で母と

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昨年娘が着用しました。

③振袖

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△ 昭和55年 観世能楽堂の前で祖母(当時75歳)と

祖母が出演する発表会に私は振袖を着て応援に駆けつけました。

 

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△ 同日・観世能楽堂のロビーにて

今日の新・観世能楽堂での記念公演はもちろんのこと、今後ここで出会う能も、きものと共に大切な思い出になってゆくことと思います。

 

6.これからの能

①気軽に

新しい観世能楽堂は今年6月から平日夜にも公演を行い、観光客や仕事帰りのサラリーマン、学生などが気軽に日本の伝統芸能にふれることができるようにするそうです。

また、歌舞伎ではすっかり定着した音声ガイド(イヤホンガイド)も実施予定とのことで、能がより身近に感じられるようになるのでは、と期待しています。

②能とは?

観世清和さんは著書『能はこんなに面白い!』の中でこんなことを語っています。能をよく表していると思ったのでご紹介します。

「生命へのやさしいまなざしーそれこそが、観阿弥、世阿弥によって到達した能の世界です。
志なかばに倒れた者、思いを残して世を去った者、虐げられ葬られた者、そうした弱者の声に耳を傾けて、かつて彼らが生きた時間をひととき舞台の上に甦らせ、その生命の輝きを讃えるのです。
悲しみを鎮め、明日への力となって、常に人の心に寄り添う。
能は、鎮魂の芸能であると同時に、生命の讃歌なのです。
能と向き合うことは、日本人である自分自身に向き合うことにほかなりません。」

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