新春二日に、松屋銀座で開催されている「特別展・白洲正子ときもの」を見てきましたのでご紹介します。
1.「特別展・白洲正子ときもの」
2016年暮れから始まった特別展は1月16日まで松屋銀座8階イベントスクエアで開催されています。
今回の特別展はどのようなものかというと……
「白洲正子*が母から受け継いだ帯や能舞台に立った時の着物、白洲邸武相荘での暮らしぶりを感じさせる季節ごとの着物や和装小物、日常に用いた器や書斎で愛用した品々など約150点を展観。白洲正子が愛した“きもの”の魅力を紹介」
―― パンフレットから抜粋引用
*白洲正子 (1910-1998)
樺山伯爵の次女として生まれ、幼少より能の世界に触れて育つ。14歳でアメリカに留学。帰国後、白洲次郎と結婚。戦後は小林秀雄、青山二郎らとの交流を通じて文学、骨董の世界に踏みこんでいく。
『能面』『かくれ里』などの著書で知られる。生涯を通じて、権威や世評にとらわれない独自の「美」の世界を求め続けた。88歳で逝去。―― パンフレットから抜粋引用
デパートでの開催ということで、私は規模の小さい展示をイメージしていましたが、予想に反して大変見応えがありました。
白洲正子が愛した品々を見ることで、遠い存在だった彼女を身近に感じることができました。
2.印象に残った展示
150点という多くの展示の中で、印象に残ったものをいくつか取り上げたいと思います。白洲正子の著書から写真を引用しながらご紹介していきます。
①「金摺箔吹き寄せ文」のきもの
会場の入り口近く、最初に目に飛び込んできたものは、私がかねがね実物を見たいと思っていたきものでした。
△白洲正子が舞囃子を舞う時に着た濃紺紬地に金箔を施したきもの
(出典:白洲正子・牧山桂子・青柳惠介・八木健司(2012)『白洲正子のきもの』新潮社)
柄から想像すれば秋の舞台用だと思われますが、身頃には裏地を付けない「胴抜き」仕立てになっていました。
季節にかかわらず舞台で動けば暑いので工夫をしたのだと思います。
△正子の舞姿はカッコイイです♪
(出典:白洲正子・牧山桂子・青柳惠介・八木健司(2012)『白洲正子のきもの』新潮社)
②紙帯
△紙帯(揉紙)、母常子の形見の帯
(出典:白洲正子(2000)『衣匠美』世界文化社)
大正初め頃の作。楮の揉紙*に柿渋で刷毛目を引き(茶色の部分)、金銀の箔と絵を施しています。
*揉紙(もみがみ)…揉んで軟らかくして、シワをつけた紙のこと
和紙でできた珍しいこの帯は夏用だそうです。とても軽そうに見えました。
③縞の更紗帯
△有平縞(あるへいじま・ありへいじま)*更紗帯
(購入した絵葉書より)
*有平縞…安土・桃山時代に伝来した南蛮菓子のアルヘイ[=「アリヘイ」ともいう]糖が、赤、白、青のカラフルな配色であったことから、それらの配色の縞柄のことをいうそうです。古渡り更紗の一種で、太い縞の両側に細い縞があります。
染織作家・井出幸造による手描きの帯です。縞模様はよく目にするものですが、手で縞を描くことの難しさはいかばかりかと思いました。
近くで見ると大変味わい深く、見とれてしまいました。横に描かれた更紗の唐花模様が何とも繊細で可愛らしく、白洲正子がお気に入りだったことがうなずけます。
締めジワかと思われるものが帯に残されているのもリアルで良かったです。
④吉野格子の帯
△柳悦博(やなぎ よしひろ)*作の吉野織りの帯
(出典:白洲正子・牧山桂子・青柳惠介・八木健司(2012)『白洲正子のきもの』新潮社)
この帯はトルソーに着付けられた藍の綿薩摩に締められていました。
柔らかくて軽そうな吉野織りは単衣の綿薩摩にはぴったりで、とても素敵でした。ただ、半襟があわせの着物に使われる縮緬だったのには、少し違和感を覚えました。
*柳悦博(1917-1995)…染織作家。多くの弟子を育て、白洲正子には織についての指導をした。
⑤郡上紬
△宗廣力三(むねひろ りきぞう)*作の郡上紬
(出典:白洲正子(2000)『衣匠美』世界文化社)
何十種類もの色糸から織り上げた郡上紬です。一見地味ですが、郡上紬が放つ織物のパワーを前に圧倒される感じでした。
白洲正子なら華やかに、軽やかに着こなしていたのだろうと思いました。
「このきものは何色なのだろう?」と思い、しばし眺めましたが、結局答えは出せませんでした。
*宗廣力三(1914-1989)…郡上紬の作家。2016年12月11日の記事参照。
⑥蝶の型染め羽織
△立花長子(たちばな ちょうこ)*作の型染めの羽織
(出典:白洲正子・牧山桂子・青柳惠介・八木健司(2012)『白洲正子のきもの』新潮社)
蝶と幾何学模様を可愛らしくあわせた個性的な羽織です。
衿は藍の無地になっており、一般人が街着として着るのはちょっと…という感じですが、白洲正子が経営していた「こうげい」の店先で着る為だったのでしょうか。モダンな蝶の羽織はきっとお店を明るくしたことでしょう。
△銀座「こうげい」での白洲正子
(出典:白洲正子・牧山桂子・青柳惠介・八木健司(2012)『白洲正子のきもの』新潮社)
*立花長子(1913-)…染織作家。洋画を学び、芹沢銈介に師事。
3.組紐
①白洲正子の母
白洲正子が愛用した組紐の帯締めや羽織紐も展示されていました。
△白洲正子の組紐の帯締め
(出典:白洲正子(2000)『衣匠美』世界文化社)
白洲正子の著書『遊鬼 わが師 わが友』によると、正子の母・常子が組紐の帯締めを使った最初の人だそうです。
それまでは羽二重に綿を入れて丸く絎けた「丸ぐけ」を使っていたところ、大正時代、常子が高田装束店*で組紐*を作らせ、帯締めにしたのだといいます。後に池之端の道明*でも制作され流行し現在にいたったそうです。
*高田装束店…宮中装束を研究、復元制作してきた店
*道明…江戸中期創業の組紐の老舗
*組紐の元来の使われ方…「日本には仏教の伝来により、仏具、経典、巻物の付属品の飾り紐として渡来した。奈良時代には細い色糸による組み帯などの男女の礼服として普及、鎌倉時代には武具の一部、安土桃山時代には茶道具の飾り紐として使われた。」Wikipedia.org「組み紐」より
私が小鼓を入れるのに使用していたアンティークの箱です。
太い組紐が付いています。太い帯締めにも見えます。
今では帯締め=組紐となりましたが、その歴史は新しく、母常子の遺産だといえます。
△白洲正子の母・常子
(出典:白洲正子(2000)『衣匠美』世界文化社)
白洲正子が19歳の時、母常子は54歳で亡くなりました。正子が新婚旅行から戻った翌日だったそうです。
これは私の想像ですが、正子にとって組紐の帯締めは、愛する母の生きた証として特別な物だったのではないでしょうか。
②私に遺された古い帯締め
白洲正子の愛用していた帯締めと似ているものを並べてみました。
幅が広く主張が強すぎてあまり出番がないのもありますが、上手く取り合わせれば着こなしの主役にもなる個性派たちです。
4.田島隆夫との交流
展示の中には、地機織作家・田島隆夫*のきものや羽織、ショール、座布団などがありました。白洲正子が自宅で愛用していた様子をそのままに再現した展示が印象的でした。
そして田島と白洲との往復書簡も見ることができました。
白洲はまだ若かった田島を、「美しいものが見えて、しかも職人芸に達している」人として評価し、多くの注文を与えて一流の織師に育てたのだそうです。
*田島隆夫(1926-1996)…埼玉県行田市で紬を地機織りで制作。昭和39年には日本民藝館賞を受賞。地機織作家。柳悦博に師事。
糸質にこだわりひたすら着心地の良い着物を求めて機織りを続けた。
△田島隆夫作・琉球絣格子文のきもの
(出典:白洲正子・牧山桂子・青柳惠介・八木健司(2012)『白洲正子のきもの』新潮社)
田島隆夫が白洲正子に宛てた手紙はとても魅力的なものでした。手すき和紙に毛筆で素朴な字が書かれ、野菜や栗、草花なども描かれていました。それに対する白洲の返信も温かいものでした。
「糸のなりに織りたる絹乃
あたたかさ
つくりし人乃
心にも似て
お絵もお手紙も
スカーフもうれしく
かたじけなく
頂だいいたしました
御礼まで 」
△田島隆夫
(出典:白洲正子(2000)『衣匠美』世界文化社)
5.当日のきもの
この日は母が遺した「こうげい」の紬を着ていきました。
柄ものどうしですが、帯も「こうげい」の作り帯です。
前回(2017年1月1日)ご紹介した帯と柄行きが似ていますが、鹿や鶏がいくらか小さく地味になっています。
バッグもレトロな更紗に
これも琉球絣格子文だと思われます。もしかすると田島隆夫作かもしれません。母にとっても白洲正子は憧れの人だったのでしょう。
6.オリジナル絵葉書
会場では武相荘*で販売されているグッズの他に、今回の特別展オリジナルの葉書やクリアファイルがありました。
*武相荘(ぶあいそう)…1943年に白洲夫妻が移り住んだ東京郊外・鶴川の茅葺屋根の家。2001年より公開される。
会場には、白洲正子の著書(『きもの美、えらぶ眼、着る心』1962年より)からの引用文が掲げられていました。
「不完全なものの美しさ、やつれの味、そうしたものが日本の美しさといえるかもしれません。」
「洋服の場合は型と生地が主ですが、きものには調和の面白さがある」
「特別展・白洲正子ときもの」は、まさにそれを実感できるものでした。