7月末、変わった柄の夏きもので珍しい講座に参加しました。
1.どう見ても三角定規!?
盛夏用の紗の着物です。地紋の上に縦の線と三角の柄が続いています。
三角の文様というと、古典柄の鱗(うろこ)模様がありますが、これはまさに三角定規で、中に穴まであります。昭和40年代にはこのように幾何学的な、着物らしくない柄が流行したのかもしれません。
2.参観日の着物
元は白地だったこの着物は私が子供の頃、7月の父兄会や授業参観に母が着ていました。算数の授業に三角定規の着物……ちょっとしたユーモアのつもりだったのかもしれません。
中学1年の夏休みに母と京都にて
3.能「道成寺」特別講座を聴きに行く
この講座は国立能楽堂大講義室で行われました。
主催は金春(こんぱる)流若手能楽師・中村昌弘さんです。中村さんは12月に「道成寺」のシテ(主役)を初めてつとめることになりました。若手能楽師の登竜門であり、卒業論文にも喩えられる「道成寺」は、能楽の各流儀(=流派)にとって特別な能といえます。
この日は金春流の中村さんの呼び掛けで、観世(かんぜ)流の武田宗典さん、宝生(ほうしょう)流の高橋憲正さん、喜多(きた)流の大島輝久さんの4人の同世代能楽師が集まり話をするというユニークな講座となりました。
魅力的な講師の方たち
このような流儀を越えての企画は本当に珍しく、115名の受講者は皆興味津々でした。中村さん以外はすでに「道成寺」の経験者。どのような思いで「道成寺」に臨んだかや、具体的な準備に関しての裏話も聞くことができました。
4.印象に残った話
少しだけ内容をご紹介します。
①配役は誰が決定するか
能の舞台にはシテ方(主役担当)の他、「三役」といわれるワキ方・狂言方・囃子方、そして地謡と後見が登場します。
これらの配役を、
A シテが全て決めて出演交渉をする流儀
B 全て家元が決める流儀
というように流儀によって違いがあることがわかりました。
②「道成寺」の稽古をいつから始めたか
皆さんだいたい半年前からだそうです。
③誰が鐘を作るか
「道成寺」は舞台中央に大きな釣り鐘の作り物(舞台装置)をつり、シテはクライマックスでその中に飛び込み、装束を変え、鬼女(蛇体)となって再登場します。竹を骨組にして鐘の形が作られ、外側を絹の幕でおおい縫い付けています。
鐘は公演ごとに新たに絹の幕を張るのですが、その作業が大変で、1日またはそれ以上かけて行われるそうです。
その作業を
A シテと鐘担当の後見〈鐘後見〉が作ることになっている流儀
B 家元の若い内弟子たちが担当する流儀
と違いがあるようです。
いずれにしても鐘作りをした日は、シテを勤める人が鐘を作ってくれた人たちに食事をご馳走するのが慣例のようです。
私は今まで単に〈作り物〉としてしか鐘を見ていませんでしたが、舞台の度に作られる鐘には関係者の苦労と深い思い入れがあることを初めて知りました。
④道成寺を勤めた感想は?
A もう二度とやりたくないと思った
B 終わった瞬間に、もう一度やりたいと思った
と意見が分かれました。これは流儀ではなく個人差だと思います。
⑤秘伝は喋れない
私はかねがね、鐘の中はどうなっているのか不思議に思っていました。でも鐘の内側はシテが作ることになっていて、その細工は秘伝だそうです。ですから、どの流儀の方からもお話は聞けませんでした。
5.観客も緊張する能「道成寺」
〈後シテの蛇体が鐘から現れたところ〉堀上謙『能 修羅と艶の世界』能楽書林より
「道成寺」の能は、その始まりから他曲と違います。地謡・囃子方が着座すると、狂言方によって鐘(重量約60kg)が舞台中央に持ち出され、鐘後見よって天井に吊り上げられます。これを見ているだけでもドキドキします。
そしてシテの舞の途中、小鼓とシテだけで演じる気迫満点の「乱拍子」という演出があり、はじめはゆっくり静かに、そして後に息つく暇もないような「急之舞」を経て、シテが鐘の落下と同時に飛び上がって鐘に入る「鐘入り」になります。
蛇体となって再登場した後も、演者はもちろん観客も気を抜く暇なく緊張が続くのです。演者と観客が一体化する能ともいえるのではないでしょうか。
6.中村昌弘さん「道成寺」のご案内
平成27年12月13日(日)に初挑戦なさいます。
URL:http://kakedashino.blog11.fc2.com/
7.中村昌弘さんと……
この日初めてお会いした中村さんは誠実そうな方で、進行役としての言葉の端々からも「一流の能楽師になる!」という気概が感じられました。
三角定規文様だって「道成寺」の装束に使われる〈鱗文様〉の仲間かもしれない…と思って選んだ母の着物。
そういえば、能好きの母に連れられて小学1年の私が初めて見た能が「道成寺」でした。