今日は祖母の単衣のきものと、母のブローチ帯留の紹介です。
1.地味な印象の単衣
①出会い
このきものを初めて見たのは14歳の頃でした。
当時もこのように、まずたとう紙を開けた状態で見せられました。
色はモノトーンで刷毛目(はけめ)の模様です。柄としては大胆なのかもしれませんが、子供の私には地味な印象しかありませんでした。
けれども私にとってはとても懐かしいきものなのです。
②私との関わり
このきものは祖母から母に譲られ、母が若い頃着ていました。しかしそれは私の記憶にはない頃のことです。
なぜ懐かしいかというと、私が中学生の頃、日舞の発表会の練習用に「かつぎ(被衣)*」として使っていたからです。
*かつぎ…平安時代以後、貴婦人が外出する時に頭からかぶった衣服。きぬかつぎ
かつぎを使う所作を家で稽古したいのに、風呂敷やシーツでは上手くいきません。困っていた私に母が出してくれたものがこの着物だったのです。
丈が短く何よりも軽いので、かつぎのように扱えます。おかげで、稽古も存分にでき、舞台も無事につとめられました。
実際のきぬかつぎはきれいなピンクでした。
③引退していた? きもの
祖母のきものは練習用として役立ちましたが、この時すでに”きもの”としての役目は終えていて、箪笥の奥に眠っていたものでした。そして母はその後も着ることはなく、私も使うことはありませんでした。
2.ジョーゼット? 紋紗の単衣?
今回再びこの単衣に興味が湧いたので、よく見てみました。
①素材
とてもやわらかな絹です。伸縮性もあり、しっかりしたジョーゼット*のようにも思えます。
*ジョーゼットのきもの…昭和初期に流行した薄い平織りのきもの。ごく細い強撚糸を使っているので細かいシボがあります。(薄い縮緬の風合いです)
以前(2015年7月25日の記事で)、友人が夏物として着ていたジョーゼットきものを紹介しましたが、その生地よりは少し厚くハリがあるようです。
色は黒、グレー、白だけでなく、薄いピンクの部分もあります。
②紋紗?
ふつうの単衣だと思っていましたが、裏をよく見ると透かし模様がはいっていました。
紋紗(もんしゃ)*の一種、透紋紗(すきもんしゃ)と思われます。表の模様とは関係なく、全体に可愛らしい柄が織り出されていました。
*紋紗…紗地に文様を織り出したもの。
平織り地に紗組織で文様を表したものを「透(すき)紋紗」、紗組織の中に平織りで文様を表したものを「顕(けん)紋紗」というそうです。
表からでも透かして見ると紗の部分がわかります。
3.無地のきもの?
もう持ち主に聞くことはできませんが、祖母は若い頃、無地の透(すき)紋紗として、このきものを着ていたのではないでしょうか。
その後刷毛目模様に染め直したと思われます。
そして祖母が着たあと、このきものは母に譲られました。(身丈が母の寸法でなく短いのは、祖母が着ていた証拠です)
4.昭和37年の写真を発見
よそゆきの着物ではないため写真は無いと思われましたが、1枚だけ見つかりました。
帯は薔薇の柄の絽つづれです。6月頃でしょうか、くつろいだ様子で鰻重?を食べています。
この着物は目立った汚れもなく、着用可能な状態でした。念のためクリーニング(丸洗い)を頼み、着てみることにしました。
5.母と同じコーディネートで着てみる
6月中旬、50年経ってカムバックした「透紋紗」のきものに当時と同じ絽つづれの帯を締めました。
あまりに古い組み合わせに気恥ずかしくもありましたが、軽さと柔らかさ、着心地の良さでいつしかそれも忘れてしまいました。絽や紗と同じ夏の薄物と考えてもよい程の涼しさでした。
6.オランダ土産のデルフト陶器ブローチを帯留に
①気楽な装いで
浴衣のような感覚で紗の夏帯を合わせてみました。
下駄の方が合うようです。
そして、無地の帯に合わせてみた帯留は……
②ブローチを楽しむ
選んだのは父のお土産のブローチです。
昭和37年に父がヨーロッパ旅行をした際、オランダで母に買ってきたブローチです。私の幼い頃、母が洋装の胸元に付けていたのを覚えています。
*デルフト陶器…オランダのデルフトおよびその近辺で、16世紀から生産されている陶器。白地に青い模様が特徴。
レースのように繊細なシルバー部分も気に入っています。
このような丸いブローチは帯留として使いやすいです。丸い形は三分紐に付ける時に安定するからです。
付け方はこちら(2015年8月2日の記事)
古いきものとブローチ。偶然にも同じ頃に母が身に付けていた2つの物に向き合った6月でした。
7.短い掛け衿
刷毛目模様のきものは着心地は良かったものの、掛け衿が問題でした。
短い掛け衿が目立っています。
母は衣紋を抜かずに着ているので掛け衿に不自然さはありません。
アンティークきものを着る時は、掛け衿の長さにも注意して、それに合う着付けをすることが必要だと反省しました。