今日は前回に引き続き、『紙布~桜井貞子作品展~』実演会の続きと、紙布のきものと紙子(かみこ)の帯をご紹介します。
6.制作実演会~紙糸を作る~
紙を揉んだ後は、糸状になったものを乾燥させます。
⑤紙を績(う)む
端の糸1本を切り離し、2本ずつつながるようにちぎって切り離していきます。
ちぎった部分に
よりをかけます。
⑥糸車で縒(よ)りをかける
篠竹一本に紙一枚分を巻き取ります。
縒りをかけ篠竹に巻き取られたあとは、それ以前の繊細な紙からすっかり丈夫な糸になっています。
実演はここまででした。
次の作業は桜井さんの説明をもとに展示のボードを使ってご紹介します。
⑦縒り止め
熱湯で篠竹ごと茹でた後、ザルなどにあげます。これは縒りを固定して切れにくくするための処理です。
⑧綛(かせ)上げ
縒り止めして濡れたままの糸を木枠に巻き取ります。糸の端と端をつないで、綛上げ機にかけて大きな輪にします。
これは染色するための準備作業です。
7.真田の侍がもたらした紙布
①なぜ紙布が白石に残っていたのか
白石紙布は宮城県白石市の名産品として将軍にも献上されていました。白石城主片倉小十郎は伊達政宗の片腕として名をはせた人物です。
実演会の冒頭、桜井貞子さんは白石に紙布がなぜ残っていたのか、というお話をなさいました。
大阪城落城前夜、真田幸村は敵方である徳川方の武将・片倉小十郎に子供二人を助けてほしいと頼みました。(桜井さんは矢文が届いたと説明なさいました。)
片倉小十郎はその申し出を受け入れ、幸村の遺児たちはその後白石城で養育されたと言われています。
その時お供についてきた真田の家臣が紙布の技術を持っており、作り方を伝えたことで白石の紙布が誕生したのだそうです。
②分業制
白石城主片倉家の保護・奨励のもとで生産されていた紙布は、完全な分業制だったそうです。
門外不出の紙布作りの作業は一人で行うことを禁じられ、白石の人間以外には教えてはならないという決まりだったそうです。
③誰にでも教えたい!
桜井さんは「門外不出」という壁に阻まれ、糸作りにとても苦労しました。
その経験から、「紙布の技術を皆さんどなたにも教えたいのです!」と強調されていました。
そして「白石の紙布、白石では昨年途絶えました。」というお話もなさっていました。
8.西ノ内紙
①西ノ内紙
桜井貞子さんが紙布作りで使用する和紙は「西ノ内紙」*という和紙です。
*西ノ内紙(にしのうちし)…茨城県常陸大宮市の旧・山方町域で生産される和紙である。コウゾのみを原料として漉かれ、ミツマタやガンピなどが用いられないことに特徴がある。江戸時代には水戸藩第一の特産物となり、各方面で幅広く使われた。(Wikipediaより)
西ノ内紙は奥久慈地方でできる最高級の那須楮(こうぞ)を使っています。
(西ノ内紙パンフレット「西ノ内紙 紙のさと」より)
②菊池正氣さん
桜井さんが手がける紙布の材料となる和紙を漉いているのは、和紙の漉(す)き職人・菊池正氣さんです。この日の実演会で講師としてお話されました。
桜井さんの要望に応えながら紙布の材料にふさわしい紙を漉くのは大変だったそうです。しかし、
「こういううるさい人がいないと職人の腕は上がりません。職人はいじめられないとダメ。小言は大事ですよ!」
と菊池さんは何度も桜井さんの顔を見ながら、楽しい口調で紙すきの大変さを説明してくださいました。
お二人は息の合った名コンビなのですね。
9.後期の展示から
①菊池さんの名前がタイトルに
桜井さんの説明では、菊池さん最高の出来栄えの和紙で織った風通(二重織り)なので、菊池さんの名前「正氣」をつけたそうです。
②畳の縁
これも良い出来の和紙だったので、仕事がとてもやりやすかったと桜井さんが話していた作品。
「後期の展示直前の4月30日の朝に仕上がったのよ。」と私におっしゃいました。パワフルで若々しい桜井さんの姿が映し出されているような美しい赤でした。(染料はラックダイ)
③諸紙布の帯
第49回日本伝統工芸展(平成14年)入選作。
諸紙布は素朴な味わいがありますが、この帯は割菱文を綾織で織り出しているので、格調の高さも感じられます。
④爽やかな格子柄
菊池正氣さんの息子さん 菊池三千春さんが漉いた和紙が使われています。
⑤後継者・妹尾直子さんの作品
ヨコ糸には厚手の大福帳用紙を使用しているそうです。
10.桜井貞子さんの装い
この日の桜井さんは、御自身の作品である藍染の絹紙布のきものを着ていらっしゃいました。
帯は絹紙布の型染めです。
田植えの風景です。かなり古い型を復刻したもので、染めたのは江戸小紋の小宮康正さんだそうです。
私は母の形見の紙布を着ています。母と桜井さんは同じ年の生まれなので、いろいろお話を伺えて嬉しかったです。
私のきものはタテ、ヨコ和紙にほんの少し絹糸が混ざったものでざっくりした印象です。一方桜井さんの絹紙布はつややかな光沢と陰影があります。
11.紙布のきものと紙子の帯
①当日着た紙布のきもの
ベージュ、茶、グレーの斜め格子柄になっています。
柿渋染なのでしょうか。前回ご紹介した(5/14の記事)紙布も茶系のきものでした。
いずれも「誉田屋源兵衛(こんだやげんべい)」の二十数年前のきものです。
余り布だと柄がよくわかります。
ざっくりした感じですが、長年の着用によりとても柔らかです。
ところどころ濃い茶色に見えるのは絹糸です。
麻とも木綿とも違う独特の風合いの紙布は、着ると体がふわっと包まれているような気分になります。
②紙子の帯
*紙子…紙布と違い、何枚か張り合わせた和紙をそのまま使います。よく揉んで柔らかくしてから柿渋を塗って作ります。
紙子は軽くて柔らかく、風を通さないので、戦国時代の胴服や陣羽織、防寒着、僧侶衣などに用いられました。
*黒谷和紙(くろたにわし)…京都府綾部市の北部、舞鶴市との境に位置する黒谷町に伝わる和紙。京都府指定無形文化財に指定されている。この黒谷町一帯は、伝統技術を守る和紙の秘境として親しまれている(Wikipediaより)
帯はのりで貼り合わせて作られています。
帯揚げと帯締めは明るめのものにしました。帯締めは茜絞りです。
揉んであるとはいえ生地は紙なので絹のような柔らかさはありません。しかし、着付けの時に少し違和感を覚えても、着てしまうと何とも軽く締め心地が良いのです。
紙布のきものも紙子の帯も、「紙をまとう」ことにおいては同じで、癒やしにも似たやさしい着心地でした。
和紙は、絹・麻・木綿と並ぶ きものや帯の素材であることを実感した一日でした。