4月のある日、東京で一人芝居『紅花物語』が上演されました。派手で着なくなっていた紅花紬のきものが舞台に上がることになりました。
1.『紅花物語』とは
①小説『紅花物語』
昭和43年に発表された水上勉(みなかみ つとむ/みずかみ つとむ)(1919年 – 2004年)の小説で、京都の紅職人清太郎と弟子の玉吉、そして玉吉の嫁で山形の紅花農家の娘とくの物語です。
②あらすじ
山形・最上(もがみ)の紅花農家の娘とくは、京都で京紅を製造している「紅清」に嫁いできます。
「紅清」の主人清太郎には玉吉という弟子がいました。玉吉ととくを結婚させることで、京紅の材料である最上の紅花を農家からずっと送ってもらえると清太郎は考えたからでした。
清太郎には子供がいなかったため、玉吉ととくは清太郎から紅つくりを伝授され、清太郎亡きあとも、「紅清」を継ぎ、さまざまな努力と工夫で成功を収めます。しかし戦争が始まり、玉吉も、その弟子の勇も戦地に向かうことに……
水上勉は小説を執筆する数年前に最上川辺に旅をし、畑一面の紅花を見た時に心を打たれ、創作を思い立ったそうです。
その意欲と情熱そのままに、最上の紅花栽培の様子や京都「紅清」での京紅作りを克明に描写し、また京都の花街や遊郭の場面などはやさしい京言葉と共にしっとりと描いています。
読者は、水上勉の筆による大正末期から戦争後までの美しく悲しい時代に次第に引き込まれていきます。
2.昭和58年・劇団俳優座による『紅花物語』
①戯曲として
水上勉はその後、小説『紅花物語』を戯曲として書き直しました。登場人物の名前や設定にも手を加え、劇的世界を作り上げました。
そして昭和58年、劇団俳優座で阿部廣次演出、河内桃子・中野誠也主演による『紅花物語』が上演されました。(昭和58年三越劇場7月公演)
②水上勉が伝えたかったこと
水上勉は公演パンフレットの中で次のように述べています。
「今日の婦女子は、末摘花といっても、口にさす紅とかかわる花だったことなどご存じないかもしれない。
口紅だけでなく、着物や襦袢に紅染生地が生きて、日本の女性がしとやかに美しかった頃の、独特の感性なども、ミニ全盛で素肌露出時代では、かかわりのない美感覚かもしれぬ。
だが、私などは、頑固に紅花ファンで、いまだに、紅餅*からとられた紅や、染めた生地を見ると心がときめく。土から生まれた花が、女びとを美しく装うには、気の遠くなるような人々の営為がかくれていた。
紅つくりに生きた人々は、いのちがけで花を守り、紅餅をこねてきたのだった。」
(公演パンフレット・水上勉『紅花物語のこと』より抜粋)
*紅餅…摘み取った紅花の花びらから黄色の色素を洗い流し、潰したあと干しながら発酵させます。その後直径5cmぐらいの煎餅のような丸い形にして乾燥させます。 形が餅に似ていることから紅餅と呼ばれています。3キロの花が約200gの紅餅になるそうです。
△紅餅 木村孝監修(2002)『染め織りめぐり』JTBキャンブックスより
昔の日本人は紅の色に対して特別な思い入れがあったようです。
紅花から紅餅を、そして紅餅から紅染めや京紅を作ることに命を掛けた人々のことを、水上勉は小説だけでなく演劇としても描き、多くの人に伝えたかったのだと思います。
③二役の中野誠也
この時の公演で、河内桃子は「紅清」に嫁いできた20代前半から77歳までのとくを演じ、中野誠也は「紅清」の主人でとくの舅にあたる清太郎と、若い弟子の忠市(小説では勇)の二役を演じ分けました。
それから35年の時を経て、70代後半になった中野誠也が、自らの脚本・演出による一人芝居『紅花物語』を上演することになりました。
前回は二役でしたが、一人芝居ではとくの立場でも演じることになります。
3.一人芝居『紅花物語』
①ピンクの紅花紬
以前、このブログで2回にわたり紅花染めと紅花紬を取り上げました。(2017年2月5日・2月19日)
準備として紅花紬の写真を撮ったり、紅花染めの「株式会社新田」の専務・新田源太郎さん(4代目英行さんの長男)に電話でお話を聞き、「派手になった紬に色を掛けることも可能です」と教えていただいたりもしました。
華やかなピンク色の紅花紬をこの先どうするか考えながらブログの記事を書いていたある日、長年お付き合いのある前述の俳優座・中野誠也さんからお電話がありました。
一人芝居『紅花物語』をやる予定であることを知らせてくださったのです。
紅花紬のことを考えていた時に偶然にも『紅花物語』とは少し驚きましたが、私の紅花染めとの関わりや紬のきもののことなどを話しました。
そのうち中野さんから「紅花紬を芝居に使わせて頂きたい!」と申し出が……。女主人公とくをきもので表現するために舞台に置きたいのだそうです。
派手で着られなかったピンクの紅花紬がこんな形で役に立つとは想像もしていませんでしたが、もちろん私は喜んでお引き受けしました。
△モリエール作『病は気から』主役のアルガンを演じる中野誠也さん(2017年1月・六本木俳優座劇場)
②芝居の当日
舞台上には紅清の主人清太郎に扮した中野さんが座っていて、後ろには紅花紬が掛けられています。
中野さんは清太郎に扮しながら、語りの部分では女主人公のおとくになります。おとくの清太郎への思い、紅作りへの思いが山形訛りのおとくの言葉で切々と語られました。
茶室を舞台に使用しているため、場面転換のない狭い空間ですが、そこには紅花に命をかけた清太郎とおとくの世界が描き出されていました。
1時間ほどの芝居でしたが、満員の観客は中野さんのセリフや所作の一つ一つを息を呑んで受け止め、『紅花物語』の魅力を味わっていました。
4.当日はもちろん紅花紬で
黄色の紅花紬を着用しました。
帯は紬の八寸名古屋帯です。
唐花模様ですが、色合いからちょっとだけ紅花に見えます。
4月下旬では紅花はまだ咲きません。一輪挿しの花も私の帯も紅花に見立てたものにすぎませんが、雰囲気を楽しむことができました。
紅花は昔から日本人に愛され、女性を美しくしてきました。
『紅花物語』の登場人物が作る京紅、新田さん親子三代が織る紅花紬、いずれも紅花からできた紅餅によって作られるものです。
『紅花物語』で語られた紅餅づくりが過去のものになってしまわぬよう、これからも受け継がれ、後世に伝えられることを心から願っています。