前回に続き「船弁慶」特別講座レポートと、能面について取り上げます。
6.実演
①長刀
「船弁慶」後半は平知盛が長刀を手に登場します。
今回は4人の講師それぞれが自分の長刀を持参し、所作の実演をしました。
流儀によって微妙に扱い方や所作が違ったり……
長刀の長さも違います。
重い長刀をずっと手に持っているのは大変。
でも実は脇に抱えているそうで、手を離しても安定しています。
長刀を肩に掛けて構える場面は、刃を外側に向けるのが普通です。
鍬形付き黒頭(くわがたつきくろがしら)で刃はほとんど隠れていますが、外側を向いています。『能を彩る文様の世界』野村四郎・北村哲郎 共著(檜書店)より
金春流だけは刃を首の方に向けるのだそうです。
「それでは危ないでしょ」の三人からの突っ込み(?)に……
「今度さりげなくこうしてみましょうか?」と中村さん。
各流の型は絶対的なものでしょうから、そんな場面は無いと思いますが、流儀の交流が当たり前になる時代が来たら、四流の刃は同じ向きになるかもしれませんね。
△「船弁慶」後シテ 『演目別にみる能装束』観世喜正・正田夏子 共著(淡交社)より
②四流儀謡い継ぎ
最後は会場を暗くして、四人の講師が順に「船弁慶」を謡い継いでいくという珍しいコーナーでした。
同じ詞章で節もほぼ同じなのに謡い方は微妙に違うようです。
謡い継ぎのあとで、「あまり違わないじゃない。一緒に謡ってみましょうよ!」と高橋さんと大島さんが二人で謡ってみましたが、やはり流儀が違うと難しいようで、2回トライしたものの謡い出してすぐに続かなくなってしまいました。
③撮影
前述の長刀披露のコーナーは撮影自由でした。そして最後に一緒の記念撮影にも応じて下さるというサービスがありました。
楽しい2時間はあっという間に過ぎました。
7.昨年(2015年)の「能装束虫干しツアー」レポート続き
話題は変わりますが、昨年(2015年12月13日・12月20日)の記事でお伝えしきれなかった能面について取り上げます。
2015年8月、特別講座の講師でもある観世流・武田宗典さんが、能装束や道具の他に武田修能館所蔵の面(おもて)を何点か見せて下さいました。(すべての能面の虫干しは非公開で別の日に行われるそうです)
①小面(こおもて)
若い女性。
能面は角度(顔を少し上に向けたりやや伏せたり…)によって感情を表現するので、面に表情はあえてつけていないのだそうです。
②若女(わかおんな)
①と同じ若い女性。観世流では大事な面だそうです。
③深井(ふかい)
年をとった女性。生え際の髪の乱れも表現されています。
④般若(はんにゃ)
般若は女性です。”怒りの最終形態”との説明でした。
顔の上半分は悲しみを表しているそうです。
⑤泥眼(でいがん)
「海士(あま)」のシテなど、現実には生きていない人を演じる時に使われます。
⑥今若(いまわか)
「清経(きよつね)」のシテなど品の良い男性です。
⑦尉(じょう)
お爺さんの面。
2種類あるそうで……
向かって左は鼻の下にヒゲがありません。上品な役に使われるそうです。
⑧獅子口(ししぐち)
「石橋(しゃっきょう)」専用です
⑨孫一(まごいち)
特別に見せて頂いた”お宝”です。江戸時代より前のもの。
武田宗典さんの祖父・故 武田太加志さんが愛した面だそうです。
20年ほど前に製作された「孫一」の写し。この面も長い歳月を経て後世の人に”お宝”として愛されるようになるのでしょう。
⑩小べし見
下あごに力を入れて口をぐっと結んでいます。鬼神物の後シテに使われます。
この面の口には穴が開いていないので息苦しく、又声も通らないので大変なのだそうです。
8.能面を付けると……
①体験
能面を見せていただいたあとは、一人ずつ能面を顔にあてて見え方を体験しました。
皆さん予想以上に見えないことに驚いていました。
ほんの少し先が僅かに見えるだけで極端に視野が狭いのです。
武田さんのお話によると、能面をつけるとまわりが見えないため、孤独感に襲われるそうです。又、動いているうちに面がずれて何も見えずに舞った経験もあるそうです。
「能面をつけた時に気持ちを強く保つためには、体の中心に力を入れて立ちます。能の場合、立つことを構えるといいます」
と説明して下さいました。
②どのように見えるか
能面を付けた体験を皆さんにもお伝えしたいと思います。
これは母が持っていた能面です。
黒目の部分が開いています。
裏はこうなっています。
目の前にぬいぐるみを置き、能面を付けてから見ると……
こうなります。
装束を付け、謡をうたいながら、このように限られた視野で舞を舞っているのですね。
きっと面をつけた瞬間、能楽師は不思議なパワーに包まれ別次元の存在になれるのでしょう。
観客もまた、その神秘的な世界に魅了されます。
能は継承されている演劇として”世界最古”といわれていますが、室町時代から現代に至るまで絶えることなく続いてきた理由のひとつは、能が仮面劇であるという点なのかもしれません。