現代では結婚式の母親の装いとして定着している黒留袖ですが、どんな歴史があるのでしょうか。
今日は黒留袖や、黒の引き振袖などを取り上げます。
1.留袖とは
①第一礼装「留袖」の成り立ち
留袖(とめそで)とは、既婚女性が着用する最も格の高い礼装のこと。
着物の格としては第一礼装で、西洋のイブニングドレス*に相当しますが、イブニングドレスのように時間帯の制約はなく、昼夜問わず着用できます。
*「イブニングドレス」は女性の夜の正礼装で、夜に催される格式の高い式典やパーティーで着用し、昼間に催される式典やパーティーには「アフタヌーンドレス」を着用します。
△イブニングドレス(『フォーマルウェアの教科書』(日本フォーマルウェア文化普及協会)より)
△アフタヌーンドレス(前掲書より)
「留袖」という言葉は、江戸時代、振袖の長い袖を18歳くらいになると振八つ口を縫い留めて短くする習慣があり、そこから生まれました。また、袖を「切る」という表現を「留める」に言い換えたという説もあるようです。
この「留袖」という名称が「既婚女性の礼装」と言う意味に変わっていきました。
(参考:ウィキペディア及び『フォーマルウェアの教科書』(日本フォーマルウェア文化普及協会))
留袖は本来は既婚女性のものでしたが、近年は未婚女性(振袖は気恥ずかしいと思う年齢の未婚女性)も着用するようになりました。
②ブラックフォーマルが影響? 黒留袖
もとは振袖の袂(たもと)を切ったリメイク着物を「留袖」と言ったので、地色もさまざまでした。
しかし、明治時代に西洋のブラックフォーマルの概念が取り入れられ、黒地が正式なものとなり、「黒留袖」として結婚式などで着用されるようになりました。(参考:ウィキペディア)
△黒留袖(前掲書より)
黒留袖は日向紋(ひなたもん)の五つ紋を付けた絵羽裾模様で、結婚式に列席する母親、親族、仲人婦人が着用します。
昔は白い羽二重のきもの(本襲;ほんかさね)を重ねて着ましたが、現代は簡略化された比翼(ひよく)仕立て*になっています。
*比翼仕立てとは、留袖(とめそで)の裏に比翼地(ひよくじ)という生地を縫い付ける仕立て方。
白い着物を重ね着しているように見えますが、部分的につけることで軽くなり、着姿もすっきりします。
また、黒留袖は江戸褄(えどづま)とも呼ばれます。
江戸褄は衿の下の衽(おくみ)部分から裾にかけて模様がある着物を指しますが、私の記憶では昭和時代の多くの人が黒留袖のことを「江戸褄」と言っていました。
2.色留袖・黒留袖
①格の違い
地色が黒以外の留袖が「色留袖」で、格は紋の数によって変わります。
- 一つ紋:訪問着よりややフォーマルな装い
- 三つ紋:結婚式や式典に
- 五つ紋:比翼仕立てにすると、黒留袖と同格
になります。
△色留袖(前掲書より)
結婚式参列の親戚の場合、色留袖は三つ紋が一般的。一般客の場合は一つ紋の色留袖か訪問着がふさわしいようです。
でもこれはあくまで一般論であり、親戚が一つ紋の色留袖でも、訪問着でも、私は良いと思います。
②宮中では色留袖
宮中では、黒は喪の色とされているために、皇族方の和の礼装は色留袖です。一般の人が叙勲などで宮中に参内する場合も、色留袖を着用するのが慣例になっています。
△平成14年旭日大綬章を受章した相澤英之さんと女優・司葉子さん(『美しいキモノ』2015年秋号より)
司葉子さんは三つ紋付色留袖に龍村の袋帯だそうです。
3.昔の婚礼と引き振袖
①昭和16年・東京
日米開戦(昭和16年12月8日)の10日後、12月18日に撮影された写真があります。
△我が家に残る義父と義母の婚礼写真(昭和16年12月18日・東京永田町「幸楽」にて)
現代の集合写真と違うのは、前列に黒留袖を着用した婦人が4人もいることです。
昔は両家の仲人がそれぞれいたので、新郎新婦の隣には仲人さん夫妻がすわり、端が母親です。
昔の白黒写真では、黒地の振袖や留袖はとても地味で暗い感じがしますが、実際の裾模様は華やかだったと思います。
②黒地の引き振袖
義母が着ているのは黒地の「引き振袖」です。
上半身は模様がない紋付きですが、裾模様は鳳凰、花菱亀甲(はなびしきっこう)、鹿の子(かのこ)、青海波(せいがいは)、宝尽くしなどの吉祥文様で埋め尽くされています。
引き振袖は、おはしょりをしないで着用する振袖のことを言いますが、江戸時代の終わり頃から黒地の引き振袖が婚礼衣装として用いられ、昭和初期~20年代の花嫁はこのような黒地の引き振袖を着るのが一般的でした。
その時代を扱ったドラマなどでもよく見かける婚礼衣装ですが、黒地の振袖は日本家屋の中では美しく映えたことでしょう。
そして誂えた振袖の場合、結婚後は袖を切って黒留袖として着る人が多かったようです。
ただしこれを着る期間は結婚直後の若い時期だけで、30代は少し抑えめの模様を、そして40~50代以降は裾模様の面積が少ない地味なものを誂えて着用したのではないかと思います。
戦後の婚礼衣装
戦後は貸衣装が普及し始め、花嫁衣裳が華やかになっていきました。
そもそも戦争で着物を焼失したり手放したりし、なにより普段着るものにも大変だったため、贅沢な婚礼衣装を一般人が誂えるのは困難だったことでしょう。
戦後は紋付きではなく、上半身にも柄のある華やかな黒地振袖が流行ったようです。
その後、昭和30年代以降に貸衣装がさらに豊富に出回るようになると、白無垢→色打掛→振袖というような婚礼スタイルになり、ウエディングドレスも充実していったと思われます。
③江戸時代の引き振袖
江戸時代の引き振袖は美術館や絵画の中で見ることができます。
江戸時代中期以降の上流階級や富裕層の女性は、室内ではおはしょりをせず「裾引き」(お引きずり)で着物を着ていました。(外に出るときは裾を引き上げて紐でしばっていました)
△「鼠壁縮緬地 波に千鳥裾模様(ねずみ かべちりめんじ ちどりすそもよう)」(19世紀)
(特別展「きもの KIMONO」2020年 図録より)
黒に近い鼠色の引き振袖です。
△夕涼み二美人図(ゆうすずみ にびじんず)
勝川春暁筆 江戸時代(18世紀)
(特別展「きもの KIMONO」2020年 図録より)
△美人愛猫図(びじんあいびょうず)
礒田湖龍斎筆 江戸時代(18世紀)
(特別展「きもの KIMONO」2020年 図録より)
△上村松園「春秋」の一部(昭和5年)(「太陽美人画シリーズ1」 平凡社昭和57年より)
△明治初期の女性(明治7年撮影、『徳川おてんば姫』井手久美子著(東京キララ社2018年)より引用)
明治時代はじめ頃もまだお引きずりだったようです。
④花街の黒紋付き引き振袖
裾を引く着方は、現代では 芸者さん・舞妓さんで見ることができます。
黒紋付きの振袖は、舞妓さんの正装だそうです。
普段のお座敷などには色とりどりの紋のない振袖を着用します。
さて、義母の黒地引き振袖は、その後袖を切って黒留袖になりました。
続きは次回に……