お勉強

歌舞伎俳優の寄せ書き日の丸 その1

2016年8月6日

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今日は叔父の遺品である「寄せ書き日の丸」をご紹介します。

 

1.「寄せ書き日の丸」とは

現代でもオリンピックの応援などに使われていますが、日章旗の赤い丸の外側に名前やメッセージを書き込んだものです。

第二次世界大戦中は、出征する兵士の為に家族や友人が無事を祈る気持ちを込めて日の丸に寄せ書きをし、兵士に贈りました。

 

2.遺された日の丸

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叔父は昭和20年2月に北支(現在の華北)で戦病死しました。

この寄せ書き日の丸がどのような経緯で書かれ、なぜ遺されたのかは不明です。戦地には持っていかなかったようで、綺麗なまま残っています。

出征する前の叔父については又のちほど触れたいと思います。

 

3.名前を見る

判読が難しい名前もあるのですが、自分なりに読んでみました。

歌舞伎関係が多いので、俳優それぞれの説明はあとにし、紹介する順に名前を挙げていきます。

 

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右はじに大きく書かれているのは叔父の名前で、その下(薄い字・武藤隆政?)は送り主だと思われます。
(以下、敬称は省略します)

 

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① 片岡仁左衛門(かたおか・にざえもん)
② 片岡芦燕(かたおか・ろえん)
③ 市川猿之助(いちかわ・えんのすけ)
④ 市川段四郎(いちかわ・だんしろう)
⑤ 河原崎権十郎(かわらざき・ごんじゅうろう)
⑥ 河原崎薫(かわらざき・かおる)
⑦ 喜多村緑郎(きたむら・ろくろう)
⑧ 守田勘弥(もりた・かんや)
⑨ 中村芝鶴(なかむら・しかく)
⑩ 澤村源之助(さわむら・げんのすけ)
⑪ 市川荒次郎(いちかわ・あらじろう)
⑫ 市川八百蔵(いちかわ・やおぞう)
⑬ 市川莚升(いちかわ・えんしょう)
⑭ 市川寿美蔵(いちかわ・すみぞう)
⑮ 市川子團次(いちかわ・ねだんじ)
⑯ 中村竹三郎(なかむら・たけさぶろう)
⑰ 坂東羽三郎(ばんどう・うさぶろう)
⑱ 市川團升(いちかわ・だんしょう)
⑲ 井田幸雄
⑳ 市川米十郎(いちかわ・よねじゅうろう)
㉑ 金子洋文(かねこ・ようぶん)
㉒ 高橋
㉓ 淡路克巳
㉔ 尾上多賀之丞(おのえ・たがのじょう)

 

4.篆書(てんしょ)のタイトル

[1]武運長久(ぶうんちょうきゅう)

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タイトルは篆書で左から「武運長久」と書かれています。

寄せ書きで篆書によるものは珍しいかもしれません。

[2]誰が書いたか?

私が中学1、2年生の頃、初めてこの寄せ書きを見ました。

その後何回か広げて見るうちに、このタイトルを書いた人がわかりました。

 

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最後に名前を書いている尾上多賀之丞です。
「名前の筆跡が篆書に似ている」、「最後に署名している」という理由の他に、決定的なものがありました……

[3]俳優名鑑

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これは歌舞伎の雑誌『演劇界』の臨時増刊『歌舞伎俳優名鑑』(演劇出版社・昭和48年10月号)です。

俳優のプロフィールや写真が満載で、歌舞伎に夢中だった少女にとってはまさに宝物のような本でした。
暇さえあれば手にとって熟読?していたものです。

この中の尾上多賀之丞のプロフィールに「趣味……篆刻・絵画・漢詩」と書いてあるのを見つけたのです。(篆刻が趣味というのは歌舞伎俳優でも珍しいようです)

尾上多賀之丞がまずタイトルを書き、最後に締めくくるように署名してくれたのでしょう。

昭和48年当時多賀之丞は現役で舞台に出演していて、私もよく見ていました。すでに80代半ばでしたが、存在感があり、大好きな役者でした。

なぜなら、舞台上の多賀之丞はいつも「たった一人で江戸時代からタイムスリップしてきた頑固なお婆さん」そのもので、役者が芝居をしているとは思えないリアルさがあったからです。

あの小さなお婆さんが、この堂々たる篆書と署名をしてくれたのかと思うと、何だか不思議な感じがしました。

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△尾上多賀之丞 『歌舞伎俳優名鑑』より

 

5.寄せ書きの俳優紹介・その1

寄せ書きをしたのはどんな俳優だったのでしょう。

私が調べた範囲でご紹介します。寄せ書きが作られたと思われる昭和19年当時の年齢も記しておきます。

[1]仁左衛門と芦燕

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① 十二代目 片岡仁左衛門(1882~1946年)・62歳

② 五代目 片岡芦燕(1910~1993年)・34歳 のちの十三代目片岡我童

芦燕は仁左衛門の長男です。若い頃は父仁左衛門との確執があり、昭和10年歌舞伎から離れ東宝劇団に入りました。しかし数年後には劇団が解散して、父のもとに戻っていたようです。

父に寄り添うように少し小さく書かれた名前には親子の情愛を感じます。

2年後の昭和21年、父仁左衛門は同居の使用人により殺されてしまいます。

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△十二代目片岡仁左衛門 (出典:Wikipedia.org)

(現在の十五代目片岡仁左衛門の父、十三代目片岡仁左衛門は、十二代目のいとこになります)

芦燕は昭和30年に十三代目片岡我童(がどう)になりました。私の記憶に残っている昭和50年前後の我童は、60代半ばながら驚くほどの色気があり、顔立ちも良いため芯からの美人と思える女形でした。

上方女性の魅力に溢れた艶やかな姿は今も忘れられません。署名にも女性らしさが出ているようです。

 

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△片岡我童 『歌舞伎俳優名鑑』より

片岡我童は没後、十四代目片岡仁左衛門を追贈されました。

[2]猿之助と段四郎

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③ 二代目市川猿之助(1888~1963年)・56歳

④ 三代目市川段四郎(1908~1963年)・36歳

段四郎は猿之助の長男です。父猿之助は日本俳優協会初代会長。長年活躍し1963年75歳で死去。同年に段四郎も55歳の若さで亡くなりました。

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△二代目市川猿之助  (出典:Wikipedia.org)

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△三代目市川段四郎 (出典:Wikipedia.org)

二人の署名は共に躍動感のある字ですが、息子の方が下にまとまって書いているところが微笑ましいです。

[3]権十郎と薫

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⑤ 二代目河原崎権十郎(1880~1955年)・64歳

⑥ 三代目河原崎薫(1918~1998年)・26歳

二代目権十郎の次男 のちの三代目河原崎権十郎

二人は親子ですが、署名は並んでいません。

息子である三代目河原崎権十郎には、私が習っていた舞踊の会でお会いしたことがあります。客演として参加して下さり、眼光鋭い二枚目ぶりを間近に見ることができました。

この時楽屋に伺って当時の話を聞けば良かったのですが、私はまだ中学生。そして三代目権十郎=薫 であることを知らなかったのが悔やまれます。

 

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△三代目河原崎権十郎  『歌舞伎俳優名鑑』より

[4]緑郎と勘弥

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⑦ 初代喜多村緑郎(1871~1961年)・73歳

新派の名女形です。「婦系図」「日本橋」「滝の白糸」等の泉鏡花作品を数多く初演。演出も手掛けました。昭和30年には人間国宝に認定されています。

女形ながら、洋服に凝り、葉巻やコーヒーを好み、外国映画や麻雀、ゴルフが趣味の紳士だったそうです。署名も女性的でなく堂々としています。

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△初代喜多村緑郎 (出典:Wikipedia.org)

⑧ 十四代守田勘弥(1907~1975年)・34歳

昭和10年、のちに新派の大女優となる初代水谷八重子と結婚しています。(のちに離婚)
二代目水谷八重子の父、坂東玉三郎の養父です。

緑郎と勘弥は36歳の年齢差があるので親しい間柄だったかはわかりませんが、私のイメージでは「新派」というキーワードでつながっています。

 

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△守田勘弥 『歌舞伎俳優名鑑』より

私は最晩年の勘弥しか見ていませんが、細面の優男(やさおとこ)で、二枚目のオーラたっぷりの役者でした。

続く――

 

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