今日は藍染の芭蕉布のきものをご紹介します。
1.芭蕉布(ばしょうふ)
①芭蕉布とは
バショウ科の多年草イトバショウから採取した繊維を使って織られた布のこと。別名蕉紗。
沖縄県および奄美群島の特産品で、薄く張りのある感触から、夏の着物、蚊帳、座布団など多岐にわたって利用される。
1974年に沖縄県 大宜味村喜如嘉(おおぎみそん きじょか)の芭蕉布が国の重要無形文化財に指定されている。
△イトバショウ(wikipedia.orgより)
芭蕉布は13世紀から織られていたともいわれ、琉球王国では献上品、貢納品としてだけでなく、王族から庶民までが広く愛用していたそうです。
一反の芭蕉布を織るために、植えて三年の成熟した200本の糸芭蕉が必要といわれています。二十数枚の層になった幹を、外側から内側へ剥ぎながら、その繊維の質に応じて用途を選別していきます。
より内側の柔らかな繊維を用いるものほど高級ですが、芭蕉布は麻より張りがあるのが特徴です。
△白洲正子の芭蕉布(白洲正子、牧山桂子、青柳惠介、八木健司(2012)『白洲正子のきもの』新潮社より引用)
②染織家 平良敏子
第二次大戦後に途絶えつつあった芭蕉布の再興に努め、芸術の域にまで高めたのは重要無形文化財「芭蕉布」保持者で人間国宝の平良敏子さん(1921~)です。
平良さんは大正10年に大宜味村喜如嘉に生まれました。祖父は明治末に喜如嘉に高機(たかばた)を導入し、父は区長を務めながら大宜味村芭蕉織物組合を結成するなど、芭蕉布の品質向上と生産拡大に尽力したそうです。
幼いころから祖母や母の糸作りの仕事を手伝っていた敏子さんは、数え10歳から機織りをしたそうです。
△平良敏子さん(前掲書より引用)
③戦後の沖縄で
第二次世界大戦で焦土と化した沖縄。戦争中、平良敏子さんは女子挺身隊の一員として岡山県の倉敷市にいました。
沖縄玉砕の報を受けて、平良さんら沖縄の女子たちは途方にくれましたが、彼女達を助けたのは倉敷紡績社長の大原総一郎氏でした。
民藝運動に熱心だった大原氏は織の技法を彼女たちに学ばせ、物心両面の励ましをしました。
「沖縄の織物を守り育ててほしい」という大原氏の願いを胸に、1947年、平良さんは故郷喜如嘉に帰りました。
平良さんは戦争未亡人や隣村の人たちの力を借りて、すっかり荒れ果てていた芭蕉の畑の手入れから始めました。
芭蕉布の再興は、このようなゼロからのスタートでした。
平良さんは組合を結成し、講習会を開き、県内外の展覧会にも出品を重ねました。
また原材料を無駄にしないで需要を拡大しようと、それまで捨てていた外側の部分から糸を取りテーブルセンターにするなど、新たな活路も見出しました。
このような努力が実り、1972年に「喜如嘉の芭蕉布保存会」は県の無形文化財、そして1974年には国の指定も受けました。
平良敏子さん個人が国の重要無形文化財保持者として認定を受けたのは2000年5月のことです。
△喜如嘉の芭蕉布 「芭蕉黄色地総絣上衣」平良敏子作(與那嶺一子(2009)『沖縄染織王国へ』新潮社より引用)
△尚家旧蔵の芭蕉布 (前掲書より引用)
2.芭蕉布の色
①芭蕉糸を染めるもの
芭蕉からできた糸そのものは生成りですが、それを茶や黄色、藍で染め、縞や格子、多彩な絣模様を作ります。
△琉球藍(『染め織りめぐり』木村孝監修 JTBキャンブックスより引用)
△ティーチ(シャリンバイ)…深みのある茶色(前掲書より引用)
△フクギ…黄色(前掲書より引用)
芭蕉布というと、1でご紹介したように黄色や茶色のイメージが強いですが、母が遺したものは藍染でした。
無地ではなく淡い青緑色で模様があります。
昔は藍の芭蕉布はよく作られていたそうです。古い芭蕉布に関しての記事がありましたので次にご紹介します。
②昔の芭蕉布
芭蕉布は琉球王国の時代、老若男女、身分の別なく着用された衣料でした。
そして階級によって、違いがあったようです。
- 士族男性…礼服は藍染。冠や帯は中国渡りの緞子(どんす)や綸子(りんず)で仕立てられていましたが、一番表に着衣するものは琉球文化を象徴する芭蕉布でした。
- 士族の女性…赤や黄の色鮮やかなもの。絹や木綿などの異素材も活かしながら大柄で大胆な縞や絣だったようです。
- 農民、漁民…粗めの単純な縞の繰り返し。生成りの記事は身につけるごとに深みをまし、身近な植物による染色は幾種類もの縞模様を生み出したそうです。
<昔の芭蕉布の写真>
△士族男性用。「黒朝衣(クロチョーギン)」とよばれた礼服。19C(『婦人画報の美しいキモノ』ハースト婦人画報社 2016年秋号より引用)
△上流階級の女性用。19C(前掲書より引用)
△農民用 (前掲書より引用)
3.藍の芭蕉布とインド更紗の帯
①単衣の時期に
先週ご紹介した茜地インド更紗の帯との取り合わせです。
6月下旬の着用です。藍の芭蕉布はあまり透け感がなく張りがあるので、夏の薄物と言うより単衣のきものにも見えます。
水色の長襦袢にすると、より透けた感じを抑えられます。
麻よりも張りのある質感です。帯締めも襦袢と同じ水色にしました。
生地の拡大
麻のようにすぐシワができることはありません。
②鈴木一弘染織作品展へ
京王百貨店ギャラリーで行われた「鈴木時代裂研究所」鈴木一弘さんの展示会に行きました。
△「鈴木時代裂研究所」が古渡(こわたり)更紗を復原して製作したもの
「『古渡更紗』とは、3~400年前の更紗のことで、木綿の生地に染めたものです。茶の湯、特に煎茶の茶入れは更紗が主流でした。」
と鈴木さんは説明なさっていました。
「鈴木時代裂研究所」の更紗や竹屋町に関しては2015.9.27,10.3,2016.9.3の記事で紹介していますので御覧ください。
会場には新しく製作された「菱尽くし金更紗」が展示されていました。
△ 菱尽くし金更紗帛紗(ふくさ)(展示会案内葉書より引用)
△ 菱尽くし金更紗バッグ(前掲書より引用)
△ 菱尽くし金更紗ネクタイ(前掲書より引用)
「笹蔓手金更紗(ささづるできんさらさ)」という名の更紗です。
前回の記事で、帯の柄の向きに疑問があることをお伝えしましたが、この日鈴木さんに見ていただいたところ、やはり
こうではなく
この向きではないかとおっしゃっていました。
4.藍の芭蕉布と紗の帯
梅雨が開けた7月下旬、夏帯を合わせて着てみました。
盛夏用の帯を締めたことで、涼しげな装いになりました。
白い麻の長襦袢を着用すると、透け感が出ます。
芯の無い夏帯は軽くて締めやすいです。これは紗織の中でも目の粗い、『粗紗』(あらしゃ)と呼ばれるものです。
帯締めには七宝焼きのブローチを使いました。
メッシュの草履を合わせました。
芭蕉布は、やはり沖縄の日差しを思わせるような晴天の夏の日に着ると気持ちが良いものです。