前回の記事でリメイクした帯は、型絵染作家・鎌倉芳太郎氏の帯でした。
今日は詳しくご紹介します。
1.鎌倉芳太郎について
鎌倉芳太郎(1898年~1983年)は琉球紅型研究家であり型絵染作家でした。
以前にも取り上げましたが(2015年9月13日)、戦争で廃れそうになった琉球紅型の存続危機を救った功績は大きいです。
『鎌倉芳太郎・重要無形文化財 型絵染』講談社(昭和53年発行)を参考にして、鎌倉氏の年譜の一部や写真を紹介します。
△鎌倉芳太郎氏(出典:前掲書)
①沖縄の女学校で美術の先生
〔大正10年~大正12年〕
教師をしながら琉球芸術の研究を始め、さまざまな資料を収集、撮影しました。これがのちに大きな役割を果たします。
②琉球芸術の調査研究を継続
〔大正12年~昭和2年〕
東京美術学校研究科へ入学し研究を続行します。
③東京美術学校で教鞭を取る
〔昭和2年~昭和19年〕
東洋美術史・日本美術史・東洋彫刻史を教えました。
④自宅が消失
〔昭和20年3月〕
空襲により多数の蔵書や美術史資料を全部消失しました。
しかし、琉球芸術の資料(数千点)は東京美術学校に保管していたため残りました。これが契機となり琉球染色の本格的な研究を始めました。
⑤型絵染作家になる
〔昭和33年〕
60歳で日本伝統工芸展に琉球紅型の長着を出品。入選。以降毎回出品入選します。
△昭和32年の作品(出典:前掲書)
△昭和45年の作品(出典:前掲書)
⑥人間国宝に
〔昭和48年〕
75歳。型絵染の重要無形文化財技術保持者に認定されました。
△昭和49年の作品(長着・部分)(出典:前掲書)
△紬の帯(部分)(出典:前掲書)
鎌倉芳太郎氏は昭和58年(1983年)に85歳で亡くなりました。
〈仕事風景〉
△書斎で執筆する晩年の鎌倉芳太郎氏(出典:前掲書)
△型絵の図案を作る(出典:前掲書)
△型紙を彫る(出典:前掲書)
△模様彫りした型紙に紗を張る(出典:前掲書)
△糊置きをする(出典:前掲書)
△色差しをする(出典:前掲書)
2.朧(おぼろ)型
紅型には、型紙を二枚又は三枚重ねて染めるものがあり、朧型、「うぶるーがた」といいます。
①昭和37年の作品
△朧型の長着(出典:前掲書)
遠目ではわかりませんが、立て枠柄に乗せられた梅花の何と可愛らしいこと!
②昭和38年の作品
△朧型の長着(出典:前掲書)
これを作るためには次の3枚の型紙を使うそうです。
(出典:前掲書)
幻想的で立体感のある細かい型染めは、このように複数の型紙を使って作られるのです。
③譲り受けた帯
この帯も朧型のようです。
菱形格子の上に梅の花、そして細かいアラレ模様……立体感のある柄です。
④落款
この帯にはこのような落款があります。
こちらは母が頻繁に締めていた麻の帯です。
鎌倉氏とは知り合いでもないのに「夏には鎌倉さんの帯が一番楽だわ!」と言っていたのを覚えています。
落款はほとんど取れてしまっています。
3.着用例
①藍の紬に
細かい模様の帯なので、大きな麻の葉模様のきものを組み合わせてみました。
(きもの・帯共に菱形模様がベースです)
②縞の単衣に
爽やかな5月に着用しました。
手織りの麻の手提げで気分も軽快です。
4.シミ汚れがあったために……
大切な帯にシミを発見した時のショックは大きいものでした。
そして鎌倉芳太郎氏の帯にハサミを入れる時は申し訳ない気持ちでいっぱいになりましたが、着用するためには仕方のないことと、勇気を出しました。
余り裂で通年使えるバッグも出来たので、許してもらえるのではないでしょうか。
何よりも帯とバッグをこれから愛用していくことが大切なのだと思っています。