前回紹介した民芸調の渋い着物にレースの帯を合わせて、復原された名物裂の展示会に行きました。
紗に刺繍を施した「竹屋町」、「金襴」や「更紗」など素材感の違う布に魅了されました。
1.復原された名物裂の展示会
鈴木一弘「竹屋町(たけやまち)掛軸と青磁裂象嵌花瓶(せいじ きれぞうがん かびん)」は、京王百貨店(新宿店)京王ギャラリーで開かれました。(会期:2021.6.24~30)
①竹屋町という刺繍
不思議な名前ですが、竹屋町は名物裂*(めいぶつぎれ)の一種で、京都の竹屋町通りで作られたので、このようにいわれます。
紗の生地に金糸や色糸で刺繍を施したもので、掛け軸の表装などに使われます。
*名物裂… 室町末〜江戸初期に中国,東南アジア,インド,ペルシアなどから渡来した布地。
茶道の茶入や茶碗をいれる袋,袱紗(ふくさ)などとして茶人に珍重されました。
△竹屋町刺繍の掛け軸の表装(部分)
竹屋町刺繍は、布のよこ糸に沿って、たて糸をすくいながら文様を作っていきます。
特徴は、文様の端まで来た糸を切らずに裏へ入れて折り返し、次の文様に続ける点です。
△竹屋町刺繍の掛け軸の表装(全体)
透ける生地なので、裏に置いたものが掛軸の向こうに見えます。
こんなモダンな文様も……
出典:写真はいずれも鈴木一弘氏の個展案内状から
昔の裂(きれ)の復元に取り組む「鈴木時代裂(じだいぎれ)研究所」の鈴木一弘さんは、自ら竹屋町用の紗の生地を織り、それに刺繍をして昔の物を再現したり、オリジナルの作品を作っています。
細かい糸目を正確に数えてひと針ひと針縫うのは、大変根気のいる仕事だそうです。
△仕覆(しふく)と帛紗(ふくさ)(鈴木一弘氏の作品)(いずれも『MITSUKOSHIお帳場通信・2016秋』より)
日本のレース生地とも言える紗に平らな金糸を縫いつけ文様を表現する竹屋町。
金糸による豪華さと品格の中に、ヨーロッパのチュールレースのような可憐さも感じられました。
②青磁裂象嵌花瓶(せいじ きれぞうがん かびん)
鈴木さんは青磁の花瓶などに染織品を象嵌(ぞうがん)する(はめ込む)という、過去にはなかった画期的な技術を確立させました。
嵌め込んだ布は1985年に鈴木さんのお父様、鈴木一さんが復原した名物裂でした。青磁は中国発祥なので、中国由来の名物裂がふさわしいと思ったからだそうです。
△青磁裂象嵌花瓶(前掲案内状より)
今回の展示では、象嵌花瓶と名物裂や更紗の袋物が美しく並べられていました。
2.名物裂と更紗の袋物
当日展示されていた美しい袋物を少しご紹介します。
復原された古渡り更紗*や名物裂で作られた茶道の袋物(仕覆(しふく))によって、展示会場には格調高く落ち着いた雰囲気が漂っていました。
*古渡り更紗(こわたりさらさ)…16世紀後半から17~18世紀にかけて日本に渡来した更紗で、エキゾチックな文様や鮮やかな色彩が魅力。大半はインド製でした。
①金襴
②間道
③更紗
袋に付けられた締緒(しめお)も美しく、色の取り合わせに感心しました。
④当日の装いの「見立て」
いつものように今回も、勝手な解釈で<展示会用の装い>にしました。
レースの帯は「竹屋町刺繍」に、横縞のきものは「間道」の裂に見立てて…
古いバッグの更紗は「古渡り更紗」のつもりでした。
さて、ここまでは「後世に伝えるために復原された裂」を取り上げましたが、最後に「昔のまま保存され、なおかつ今も使われている」稀有な例をご紹介します。
3.室町時代 竹屋町の能装束
①足利義政からの拝領装束
△萌葱地菱蜻蛉単法被(もえぎじ ひしかげろう ひとえ はっぴ)
(観世能楽堂開場記念公演パンフレットより)
これは室町時代、三世観世太夫の音阿弥(おんあみ)が将軍・足利義政(1436~1490)から拝領した竹屋町刺繍の装束です。
濃い緑色の地に金糸で刺繍された二重の襷文(たすきもん)、その中に蜻蛉(とんぼ/かげろう)がいろいろな向きで配されています。
とんぼの目の色が赤、緑、黄、青と変化していて、渋い地色ながら華やかさもあります。
この装束は現在でも観世宗家が能「朝長(ともなが)」を舞う(演じる)ときに使用されているそうです。
②能 朝長(ともなが)
「朝長」は、平治の乱で平家との戦いに破れて自害した、源義朝の次男・朝長が主人公の能です。
この竹屋町刺繍の装束は、能 朝長の小書(こがき =特殊演出)の時だけに使われるものだそうです。
それは「懺法 (せんぼう)」という小書です。
「懺法」とは、能の後半、旅の僧(ワキ)が若くして亡くなった朝長のために唱えるお経「観音懺法(かんのんせんぼう)」のことです。
この「観音懺法」の読経に導かれて現れた朝長の亡霊(若武者姿の後ジテ)は、源氏が戦に敗れたときの様子や、自身の最期を僧たちに語ります。
そして、能の終わりには、僧にさらなる回向を頼みながら消えてゆきます。
△能 「朝長(ともなが) 懺法 (せんぼう)」
シテ 観世清和
この装束は「懺法用単法被(せんぼうよう ひとえはっぴ)」ともいわれ、音阿弥が「朝長 懺法」に用いて以来、この小書の場合に限って代々、使用されてきたそうです。
小書「懺法」は重い習い物で、シテ・ワキ・囃子・間(あい)狂言すべてが通常とは異なる特殊演出になります。
それぞれ高い技術と深い理解・表現力が必要となり、特に太鼓方にとっては最高の秘事だそうです。
写真出典及び参考:野村四郎、 北村哲郎(1997)『能を彩る文様の世界』観世流大成版、檜書店
はかなげにも思える薄い紗に平らな金糸で刺繍が施されている竹屋町は、繊細であまり丈夫そうには見えません。
けれども室町時代の能装束が現代まで生き続けているということは、竹屋町刺繍は芸術性だけでなく実用性、耐久性にも優れたものなのだと思いました。