貝の刺繍の帯<後編>

2016年3月13日

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今日は2月27日の記事の続きです。

3.着用例①

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▲ 絞りのきものに

追善能の鑑賞に海松貝(みるがい)文様の帯を締めたのには理由がありました。

この日の能は「融(とおる)」です。

世阿弥の代表作の一つである「融」は、源融(みなもとのとおる)とその邸宅・六条河原院をめぐる伝説を題材にした能です。

◇前シテ…汐汲みの老人
◇後シテ…源融*

*源融…嵯峨天皇、第12男、百人一首では河原左大臣として歌が残っています。
源氏物語・光源氏の実在モデルの一人といわれています。

源融は、京都の邸宅にいながらにして奥州塩竃の海辺で塩を焼く光景を見ようと、海から屋敷の庭に海水を運ばせたという言い伝えがあります。能前半の見せ場は、旅の僧を案内した老人が荒れ果てた邸宅跡で昔を偲んで海水を汲む仕草をしてみせるところです。

庭で汐汲み・製塩をさせていた華やかなりし昔を語りながら、前シテの老人は手にした汐汲み桶で楽しげに汲みます。汐汲み桶と貝、そして青い海の色が、私にとっての「融」のイメージに重なりました。

後半の見せ場は月明かりの下、僧の前に貴人・源融の霊が現れ、舞に興じるところです。
そして夜明けが近づく頃、融は月の都に帰って行くかのごとく姿を消します。

能の詞章の最後が「月の都に入りたまふよそほひ あら名残惜しの面影や 名残惜しの面影」
となっていて、この部分から故人を追善する能としてよく演じられます。

 

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▲ 能「融」の後シテ(平凡社『別冊太陽・能』1978年より)

この日は後半部分だけを上演する「半能」で、汐汲み老人の姿は見られませんでしたが、後シテ源融が月に照らされて颯爽と舞う姿に、観客は引き込まれていました。

そして舞が終わる頃には生前の故人の姿を風流貴公子源融に重ね合わせ、心の中で合掌する観客も多かったと思います。

 

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きものはどちらかといえばカジュアルな絞りの小紋ですが、地色の黒で全体的に渋めのトーンになれば良いと思って選びました。

当日の能楽堂はきもの姿も多く、紋付き無地や渋い色の訪問着+袋帯という改まった装いの人、一方では赤系のきものやカジュアルな紬のきものを着た人もいました。

どんな気持ちでその日の能を鑑賞するかで観客の服装はさまざま、そして自由なのだと思います。

 

4.着用例②

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▲ 結城紬に

2月中旬、友人とのショッピングに着ました。藍色の紬には朱色や赤系の帯揚げを合わせるのが好きです。カジュアルで明るい装いになるからです。

 

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結城紬の大きな唐草模様を海の波に見立ててみました。(あくまでも自分の思い込みで楽しみます)

 

5.着用例③

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▲ 十日町紬に

 

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雛祭りが近い2月下旬に着用しました。

②を着ていた時一緒だった友人が、「帯揚げなどをピンク系にしたら、桃の節句に合う着こなしになるのではないかしら?」というアドバイスをくれました。

そこで、「もう派手で使わない」としまい込んであったピンクの帯締めを出してみたのです。

 

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帯揚げはぼかしのスカーフです。

 

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海の仲間、小さな珊瑚の帯飾りを付けてみました。桃の節句らしい雰囲気は出たでしょうか……?

着物は祖母のお下がりです。(2015年5月10日の記事参照)

胴抜きの袷ですが、胴部分が単衣であることが気にならないほど、ちりめんの帯は暖かでした。

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