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若い頃の紅花染め

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紅花紬を前々回取り上げましたが(2017年2月5日の記事参照)、紅花染めと聞いてイメージするのは紅色やピンクといった明るい色ではないでしょうか。

今日は若い頃着ていた紅花染めを取り上げます。

1.新田秀次・富子夫妻

山形県米沢市に紅花染めと紅花紬の工房を構える新田家。

中学生になりたての頃、私は両親と新田さんのお宅をお訪ねしたことがありました。米沢在住の父の友人と一緒だったと記憶しています。

株式会社新田の現社長・新田英行(ひでゆき)さんのお父様である新田秀次(しゅうじ)さんは当時50代。子供の私にとって秀次さんは、がっしりした体格で第一印象は少し怖かったのですが、両親や私にとても丁寧に、そして穏やかに接してくださる優しい方でした。

父には紅花染めの苦労話や研究のきっかけとなった鈴木孝男さん(染色家)の話もなさっていました。

私は奥様の富子(とみこ)さんのことをすぐに好きになりました。笑顔の素敵な明るい方で、きものが大好きなことをお話したらとても喜んでくださいました。(当時でも若い娘が着物好きなのは珍しかったようです)

富子さんはアップの髪に、着物とうわっぱり姿で、昔の典型的な働き者のお母さん、といったイメージでした。

お会いしたのは一度だけのはずなのに、今でもご夫妻のお顔がはっきりと浮かんでくるほど、米沢での思い出は私にとって大切なものです。その後も年賀状でのご挨拶は続けていましたが、新田富子さんは35年前に他界され、新田秀次さんは7年前に90歳で亡くなられました。

秀次さんは晩年も精力的ににお仕事をなさっていたそうです。

ご夫妻との思い出のせいか、紅花染めを見るといつも懐かしく温かい気持ちになります。

 

2.ピンクの紅花紬

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横段の霞模様で黄色や青がよく見えます。株式会社新田ではこのような紬を「八重霞」と名付けています。

 

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三代目の名前が書かれています。

 

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若い頃、羽織と合わせて着ていました。

 

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娘に譲りました。

 

3.紅花紬のバッグ

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奥様の富子さんから頂いたものです。

 

4.紅花染めの縮緬

縮緬の白生地を新田秀次さんに染めていただきました。

 

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囃子の会で(20歳頃)

 

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日本髪で初詣に

 

5.紅花染めの袴

紅花で染めた糸で織られた袴です。

①紅色の無地袴

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馬乗り*のある仕舞袴です。最後に着用したのは25年前でした。

*馬乗り袴…中がズボンのように二股に分かれている袴。一般的には男性用で、女性用はスカートのようになっていて「行灯(あんどん)袴」といいます。

②娘が着る

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女袴とはシルエットが違い膨らんでいますが、昔の女学生風に着せてみました。合わせたきものは盛岡の南部紫根染め、絞りの矢絣模様です。

紅花の袴は、約40年たった今でも色鮮やかです。

 

6.紅花染め・絽のきもの

絽の白生地を染めていただきました。

 

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国立劇場にて(14歳頃)

 

7.スカーフと風呂敷

①スカーフ

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紅花の模様が織り出されたスカーフです。白いフリンジ部分が好きで愛用していました。

②風呂敷

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紅花柄の風呂敷です。黄色の風呂敷はもったいなくて未使用です。

 

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これらの美しい紅花染の布は、少女の頃から私の宝物でした。

 

8.新田源太郎さん

先日、株式会社新田の専務・新田源太郎さんと電話でお話しました。源太郎さんは新田秀次さんのお孫さんです。

昭和55年生まれの源太郎さんは現在36歳。小さい頃から紅花の工場を遊び場にし、染場で手伝いをしていたそうです。

源太郎さんが生まれて半年後に祖母の富子さんは亡くなりましたが祖父の秀次さんとは共にお仕事をなさったそうです。

大学卒業後、京都の老舗織元で修行を積んだあと平成17年に新田に入社。紅花染を手掛ける一方で、原点である袴作りにも取り組んでいるそうです。

源太郎さんは「派手になった紅花紬に色を掛けて地味にすることもできるので、いつでもご相談ください」と言ってくださいました。

先代が染めた紅花染めのまま残しておくか、先代のお孫さんに手を加えてもらい新しい紅花紬として着てゆくか、これからゆっくり考えてみようと思います。

 

 

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